ディープ・スペース
2023/09/23
2023/09/14
昼行燈
まっさらな空間。何もない? 茫漠たる気分。浮いてる? 漂ってる? 何処に? 掴みどころのない時空。何もないというのは本当? なのに体は火照っている。火照るどころじゃない、燃えるようだ。鉛のように凝り固まっているのに、熱いのは何故だ? 削れば金属の粉がボロボロ零れるに違いない。
2021/10/14
あの日から始まっていた (20 バスキア!)
「バスキア!」
オレは、街中をやたらと歩き回った。何かを求めて? それとも、何かから逃げるために?
そのどちらでもあり、どちらでもない。
オレは、壁の落書きを見て歩いた。他に見るものなど、何もなかったからだ。空の青? 公園の緑? 今更、都会で風景など眺めたって、何の新味があるものか。所詮は、作り物の自然、刈り込まれた、自然とは名ばかりの、冷たく乙に澄ました他人行儀な植木じゃないか。
小奇麗で洒落たショーウインドー? 聳え建つ高層ビル群? 高速道路とモノレールと地下鉄と運河の立体交差する湾岸の眺望? 瀟洒な豪邸の居並ぶ高級住宅街? 昔ながらの佇まいを残す古びた住宅街?
2021/10/11
あの日から始まっていた (18 ベルメール!)
← 「Die Puppe」 (1934) (「ハンス・ベルメール - Wikipedia」より)
ディープスペース:ベルメール!
奴は蛇の目をしていた。間違いなく、奴は爬虫類だ。冷血動物だ。いや、動物に熱い血が流れるというイメージがあるなら、興味ある対象に向かっていくのが動物というのなら、そもそも、外界に興味あるものがあるというのなら、奴は、動物ですらない。
といって、奴が植物というわけでもない。
奴は、大地とは何のつながりもない。根無し草ですらないのだ。
2021/09/30
あの日から始まっていた (15 窒息した美)
← ヴォルス『無題』1942/43年 DIC川村記念美術館 グァッシュ、インク、紙 14.0×20.0cm (画像は、「「アンフォルメルの先駆者」ヴォルスの全貌を探る 国内初の展覧会 - アート・デザインニュース CINRA.NET」より)
世界の中のあらゆるものがとんがり始めた。この私だけが私を確証してくれるはずだったのに、突然、世界という大海にやっとのことで浮いている私は、海の水と掻き混ぜられて形を失う一方の透明な海月に成り果てているのだった。
私だけが丸くなり、やがて形を失ったのだ。
2021/09/29
あの日から始まっていた (14 土中の恩寵)
← アンフォルメルの画家ジャン・フォートリエの「人質の頭部」 (画像は、「ジャン・フォートリエの「人質の頭部」:Autoportrait:So-netブログ」より)
何だか知れない闇の圧力に圧し掛かられて、顔が心が歪んでしまっている人がいる。闇の中の手は、その人の親の姿をしているのかもしれないし、もっと形の抽象的な、表現に窮するような何かの形をしているかもしれない。
あまりに早く生きる上での重石を感じ、打ちひしがれてしまった人は、気力と胆力があれば、人生そのものに反抗するかもしれない。あるいは自尊心の高すぎる人なら、人生を拒否するかもしれない。生きることを忌避するのだ。
人生の裏側の世界へ没入していくのである。数学の世界に虚数というものが存在するように、人生にも虚の広大な世界が実在する。虚の実在。
2016/03/08
2014/10/01
臆の夢
(前略)神の慈愛に満ちた眼差しはとりあえず今、生きている存在 者たちに注がれるだけでなく、土や埃や壁や海の水や青い空に浮かぶ雲や、 浜辺の砂やコンクリートやアスファルトやプラスチックやタール等々に、均 しく注がれているはずなのである。
← お絵かきチャンピオン 作「パブロン」 (以下、作者ホームページ:「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」)
神の目から見たら今、たまたま生きている生物だけが特別な存在である理 由など、全くないのだ。あるとしたら人間の勝手な思い込みで、自分たちが 特権を享受している、神の特別な関心が魂の底まで達しているに違いないの だと決め付けているに過ぎないのだ。
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2014/08/08
忘却は宇宙を糾合するのです
あの星々は蒸発し去った魂の欠片たちなのに違いない。
地上で焼き焦がされた骸の数々。
見るも無残な変わりよう。
ああ、でも、地上に肉片一つ残せなかった人たちもいる。
腐臭すらなく、飛び出した眼球を手で戻すことも叶わず消え去った人々。
道端の石ころに影だけが残っている。
あの日の高い太陽にじりじり焼かれて、肉の形に黒々と刻まれている。
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2013/09/06
そして、やがて、あるのは
私とは、私が古ぼけた障子紙であることの自覚。私とは、裏返った袋。私とは、本音の吐き出され失われた胃の腑。私とは、存在の欠如。私とは、映る何者もない鏡。私とは、情のない悲しみ。私とは、波間に顔を出すことのないビニール袋。
我を打ちのめし、あるいは押し流し、何処へとも知れない闇の海の底の土砂の堆積に埋められていくことは重々分かっていても、それでも、精神の疾風怒濤の中に手を差し出し、あるいは剥き出しの我が身を、我が心を差し出してまで、不可思議そのものである精神の闇の中にほんの一筋の光明を見出そうとする。
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より以前の記事一覧
- ディープブルー 2009.09.23
- ディープスペース:ベルメール! 2004.12.18
- ディープスペース:デルヴォー! 2004.12.12
- ディープスペース:フォートリエ! 2004.12.07
- ディープスペース:ポロック! 2004.12.04
- ディープスペース:バスキア! 2004.11.30
- ディープ・スペース(1) 2004.11.28
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