恋愛

2016/06/15

麦わら帽子の少女

 ひび割れたガラス窓越しにあの人は見つめていた。
 それとも、今にも砕け散りそうなガラス窓に歪んだ自らの顔を映しているのだろうか。

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 窓の外は、鏡面のように静かな湖が見えるはずだけど、あの人の虚ろな瞳には何も見えはしないのかもしれない。

 窓の亀裂は、まるで水中花を思わせる。
 凍て付いた湖の底に眠る、忘れ去られた悲しみ。
 凍り付いた情念。生き血を抜かれた花は、ただ瑪瑙のように輝いている。

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2016/02/04

影の女へ

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 あなたは形を失っていく。
 わたしを見つけることもできないままに。

 あなたは形を失い、崩れていく、ひたすらに。
 まるでわたしをなぞらえるように、蕩けていく。
 わたしなど、生まれた時から形がなかった。形を成すすべもなく、無力のままに世界の中に放置された、そう魂の躯。そんなわたしを追いかけてどうするというのだ。

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2015/09/11

青い花の女

 どこにでもあるような、青い花。
 どこへ行っても目にする、青い花。

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 そう、お前がどう逃げ回っても、その青い花からだけは逃げられない。
 なぜなら、それはお前の脳裏に刻み込まれた花だからだ。

 お前の真っ青な脳髄には、青い花しか咲かない。
 影も青ければ、血の色も真っ青だ。
 お前には、情ってものがない。人に共感する情けがない。
 そう、お前は、本当に情けない奴なのだ。
 そんなお前には、青い花がお似合いなのさ。

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2014/11/10

できたものは

 できたもんはしょうがねえじゃねえか。
 しょうがないってねー、そんな気楽に言わないでよ。他人事だと思ってんじゃない?
 他人事だなんて、思ってねえよ。気にすんなって言ってるだけじゃん。
 気にするなって、そんなー! 女にとって、命がけのことなのよ!
 命懸けって、そんな、大袈裟な。たかが、そんな、ちょっとできたくらいで…。

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2014/09/09

脂肪の塊

 道路の反対側の雑踏の中でその人を見かけた。見かけた瞬間、あの人だ、という直感があった。
 見間違いなんかじゃない。あの人だ。
 けれど、その人はあっという間に人波に呑まれていった。
 彼女を追う私の足も、行き交う車に遮られ、道路を渡った時には、見知らぬ人と素知らぬ人が通り過ぎていくばかりだった。

 胸が高鳴っていた。息苦しいほどの動悸を覚えるのも久しぶりで、何か新鮮な感動すら感じるほどだった。
 あの人がこの町に居るはずがないと、頭の中では誰かが告げていた。分かっている。でも、あの人を見たという切なる思いをどうしようもなかった。
 週末だからだろうか、若い人たちの姿が多い。どうやら、大手町辺りでイベントがあるようで、電車で、あるいは歩いて、そっちへ向かうようだった。

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2011/02/14

バレンタインを遊ぶ

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→ くそっ、今年も一つも貰えんかった! 

○セント(聖)バレンタイン

 銭湯ば入れんたい

 先頭ば入(い)れたいん

 バレンタインは聖なるチョコの日なので、チョコッとだけ入れるん

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2010/04/14

花の宴

 影がちらついて離れなかった。
 昼間の喧騒に紛れていた何かが、夜の帳(とばり)が降りると、やにわに蠢きだす。
 それは、生きること自体の不可思議への詠嘆の念に近い。

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 この世に何があるのだろうとしても、とにかく何かしらがあるということ自体の不可思議への感動なのだ。この世は無なのかもしれない。胸の焦慮も切望も痛みも慟哭も、その一切合切がただの戯言、寄せては返す波に掻き消される夢の形に過ぎないのかもしれない。
 そうだ、蠢いているのは、あの人の影などではない、ただただ、春の夜の悩ましいまでの妖しさのゆえに過ぎない…。そう言い聞かせた。
 そうだ、それで十分なのだ。他に何もない。朧なる春の霞に誑かされているだけのこと。
 今夜も眠れるはずがない。たとえ夜通しになろうと、春の夜という幻の世に導く隧道(ずいどう)を歩き通そう。

 春の夜の妖しさゆえにあくがれて

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2009/03/09

雪の朝(断片)

 何かの夢で飛び起きてしまった。胸騒ぎなのか、ドキドキして苦しいほどだった。

 真っ暗闇の中のはずなのに、障子の向こうから雪明りが染み透ってきていた。部屋が青く朧な光のプールとなっていた。俺はそのやわらなかプールに漂いながら、胸の動悸の鎮まるのを待っていた。
 けれど、息苦しさは募るばかりだった。何かしなければいけない。何処かへ行かなければならない。誰かが俺を待っている。

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 どこか遠いところに俺を待つ人がいる。
 俺がいかなければならない。

 障子戸越しに外の様子を伺ってみた。雪が降っている気配はない。静かな朝。粉雪のたっぷり降り止んだ朝だと分かった。全ての音が積もったばかりの粉雪の原に呑み込まれてしまうのだ。
 時計を見たら5時にもなっていない。

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2009/01/27

ビアズリー 瀬戸際のエロス

 鑑賞するとは、一体、どういうことか。眺めていること? 離れて、それとも間近から? 手にとってその手触りを確かめること?
 陶芸作品や彫刻作品などなら、そんなこともありえようが(実際には、触って楽しむことを許してくれるような展覧会など極めて稀。目の不自由な方向けとか、子供向けにたまにそんな機会があったりする。思うに、大人だって、触りたい!)、まずは一定の距離を保って眺めることになる。
 無論、その作品と眺める我々との距離感の問題、作品が要求する距離感といったものはある。

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 絵画作品を間近でマジマジと細部を観察するのも時には大事だったりするが、画家は、描きながら、画架の上の作成途上の作品を、時折、距離を置いて全体像や構図の具合などを眺めて確かめる。
 ほとんど常に、乃至は圧倒的な時間、作品の間近にあるのは、画家(とコレクター)の特権なのである。

 鑑賞するとは、一体、どういうことか。作品を眺めることか、作品と一体になることか、作品に触発される想像の世界に没入することか。

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2008/08/09

富士登山の思い出

(前略)では、何故、その年(1980年)に登ったかというと(後にも先にも富士山頂に立ったのは、この年のみ)、失恋記念(?)なのである。
 小生は、失恋するたびに、わけの分からない挑戦をするようで、80年の登山も失恋の痛手を癒し払拭するため、かなり無謀な形で発作的に登った。87年にも失恋して、青梅マラソン(30キロ)に挑戦した。この青梅マラソンも、とんでもなく無謀な挑戦で、その後遺症は左ひざに残っている(機会があったら、そのレポートを書きたい)。

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← 富士登山の際に購入した杖。といっても五合目のショップで買った観光記念の短いもの。一緒に買った長い杖も未だに残っている。山頂の山小屋などでは、囲炉裏の炭火で焼いたコテで焼印を入れてくれた。この短い杖には赤いインクでの観光スタンプ。長い登山杖を突きながら険しい斜面を登り、また、杖を支えに降りたのだった。

 富士山登頂の試みが何故、小生の場合、無謀だったかというと、装備も事前の準備や勉強が足りなかったということもあるが(それは毎度のこと)、実は徹夜で一気に登ってしまったことなのである。
(但し、体力不足ってことはなかった。当時、ガテン系のアルバイターで体力だけは自信があった…。)

 バスで五合目まで登り、五合目にある宿泊所に泊まって、食事を済ませ、一眠りして、さて、登山する、そんなつもりでいた。
 宿泊所の大きな広間には、何十人もいたように思う。既に明かりが消され、みんな一眠りしてから登るらしい。大勢順応派の小生も、そのつもりでいたのである。

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