旅行・地域

2010/05/19

合鴨の和みの時に和みけり

 その帰り、ふと遠回りしてみたくなった。雨は上がったとはいえ、雲はまだ分厚いし、雲の流れも速い。
 風景を撮るには相応しくないが、この数日、家のことに忙しく、自転車での散策もやっていない。
 
 完成間近の公園の光景を眺めたりして、我が町でほとんど唯一、残っている田圃の脇を通りかかったら、驚いた。

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← 自転車での買物の帰り、近所の水田脇を通りかかったら、足元にカモが二羽!

 合鴨 が水田に!
 合鴨農法 ?
 まさか、大規模な田圃というわけでもないのに、合鴨農法をやっているとは ? !

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2009/03/09

水入らずの団欒?

 なかなか厄介な日々が続いている。
 母に続いて、今度は父が入院。
 といっても、父は短期で退院してくるはずである。

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← 久しぶりに自転車で買物以外の外出。

 今は、母と二人暮らし。
 父が果たしていた役割を果たす。
 母は決して認知症ではないのだが、投薬のせいでだろうか、座ったり横になったりすると、すぐに目を閉じてしまう。
 目を閉じたからといって眠っているとは限らない。
 横になっていても、グッスリ眠っていない限りは、半ば覚醒半ば睡眠状態のようだ。
 呼べば応える。ただ夢現(ゆめうつつ)のようで、絶えず外界からの呼びかけがないと、すぐに目を閉じ忘我に近い状態に陥るらしい。

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2008/10/03

葉桜の散り残っての落ち零れ

 桜の季節が終わり、葉っぱだけとなって緑豊かな街路樹や公園を縁取る木々としてわれわれの目を和ませてくれていた葉桜も、その葉っぱが、16日木曜日から金曜日の朝にかけての木枯らしに、すっかり吹き飛ばされ、いよいよ裸木となってしまっている。

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 が、よくみると、木の立つ位置も関係するのだろうが、葉っぱの落ち残っている木もある。

 そのほとんど裸木同然の枝などに散り残っている葉っぱというのは、散らないで頑張っていると見なすべきなのか、それとも、未練がましくしつこく枝や梢に付き纏ったまま離れないとみなすべきなのか、つまりは、本来ならあの木枯らしに、そう、満開となった桜の花びらたちが時が来ると呆気なく、そして潔く散っていくように、ちょうどそのように散ってしまうべきなのであり、ああ、それなのに残っているというのは、見苦しい、下手すると見苦しい以上に滑稽ですらある…のか、そんな感覚がふと小生の脳裏に過(よぎ)ったのである。

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2008/10/01

伊香保へいかほ

[ 本稿は「03/06/05」付のメルマガにて公表したレポート(?)。一昨日アップした拙稿「「千木のこと」「竹樋・懸樋」追記」にて、小生が泊った「伊香保温泉 千明仁泉亭」のことを話題にしたので、ブログに載せることにした。リンク以外、本文は公表当時のまま。…が、肝心の温泉に着いてからの記事が書かれていないままだと今日、気づいた! (08/10/01 記)]

伊香保へいかほ
 この数年、友人達と会うというと、その場所は温泉となっている。やはり、年のせいなのだろうか。日本人の遺伝子に刻まれた温泉嗜好が熱を帯びてきたというべきなのだろうか。

 ただ、小生自身は温泉が好きとか嫌いとかではなく、ただただ怠け者というか腰が重くて、誘われない限りは、温泉に限らず、何処へも出かけない。温泉どころか近所の銭湯にさえ、足が向かない。困ったものだ。

 何処かへ出かけるくらいなら、自室でロッキングチェアーに腰を埋めて、気の向くままに読書したり居眠りしたりしているだけで、なんとなく時間が経っていく。満足してるわけではないが、それほど不満というわけでもない。こうして緩慢に老化していくのかな、これでは拙いと、ふと思うこともないではないが、だからといって何をどうするわけでもない。ほんの瞬間、チクッという痛みらしきものを覚えるのだが、それも眠気や怠惰や不快に至らない程度の気鬱などの中に紛れていく。

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2008/09/26

木枯しも終わりよければ全てよし

 師走である。年末なのだ。
 午前の天気予報では夜にも降るはずと。
 でも、とうとう、傘を差す必要も感じないような細かな雨滴がちょっと降っただけ。

 寒い。曇天。イルミネーションもなんとなく寂しげ。
 無論、月影はない。

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 タクシーの営業は、週末である金曜日は大抵、他の曜日より忙しいと相場が決まっている。なので、タクシードライバーも、可能な限りは所定の営業予定日を変更してでも金曜日に振り替え、営業に出ようとする。
 小生は変更するのが面倒なので、会社で決められた日程どおりに出社し営業。
  
 昨日は営業の日になっていた。日中はまあまあ金曜日らしいかなという程度。夜も、確かに忘年会の会場などへ向うお客さんが増えている。駅へ、あるいは駅から店へ。
 凄みを増してきたのは、やはり夜も夜半に近づいてから。
 小生は、忙しさを予見して、郊外へと逃げようとしていた。できるだけ人のいないところへ。小生、人が多いところは苦手なので、普段もあまりお客さんのいないところを走っている?!

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2008/08/09

富士登山の思い出

(前略)では、何故、その年(1980年)に登ったかというと(後にも先にも富士山頂に立ったのは、この年のみ)、失恋記念(?)なのである。
 小生は、失恋するたびに、わけの分からない挑戦をするようで、80年の登山も失恋の痛手を癒し払拭するため、かなり無謀な形で発作的に登った。87年にも失恋して、青梅マラソン(30キロ)に挑戦した。この青梅マラソンも、とんでもなく無謀な挑戦で、その後遺症は左ひざに残っている(機会があったら、そのレポートを書きたい)。
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← 富士登山の際に購入した杖。といっても五合目のショップで買った観光記念の短いもの。一緒に買った長い杖も未だに残っている。山頂の山小屋などでは、囲炉裏の炭火で焼いたコテで焼印を入れてくれた。この短い杖には赤いインクでの観光スタンプ。長い登山杖を突きながら険しい斜面を登り、また、杖を支えに降りたのだった。
 富士山登頂の試みが何故、小生の場合、無謀だったかというと、装備も事前の準備や勉強が足りなかったということもあるが(それは毎度のこと)、実は徹夜で一気に登ってしまったことなのである。
(但し、体力不足ってことはなかった。当時、ガテン系のアルバイターで体力だけは自信があった…。)
 バスで五合目まで登り、五合目にある宿泊所に泊まって、食事を済ませ、一眠りして、さて、登山する、そんなつもりでいた。
 宿泊所の大きな広間には、何十人もいたように思う。既に明かりが消され、みんな一眠りしてから登るらしい。大勢順応派の小生も、そのつもりでいたのである。

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2008/07/04

蛍を見た!

[下記の小文は、7月2日に書いたモノローグを元に、説明のための加筆、さらには若干、フィクション的要素を加味した、<日記>かな。]

蛍を見た!

夜の八時過ぎだったろうか、ホタルを見た。
もう時期外れもいいところ。

一昨日、富山市のはずれの地域へ車で。
富山市は、3年前の平成の大合併でそれまでの旧富山市と比べ、住民の数も増えたが面積がべらぼうに増えた。

婦中町や大山町、大沢野町、八尾町に山田村さらには細入村などと、従来の観念では考えられない地域までが富山市に編入(あるいは合体)。
ほんの数年前までの感覚だと、山田村って、ホントの山間の村というイメージだった(但し、行政は斬新なものを打ち出していた)。
例えば隣の岐阜県へ行くには、ルートにもよるが、(旧)富山市を過ぎても、さらには大沢野町や細入村、大山町を抜けてようやく県境に到ったものなのだ。

今回、その山田村の入口近くへ行ったのである。

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