心と体

2021/01/03

麻酔は未だ効いてない

 今朝(二日の朝)の夢も不快なものだった: 私は手術室にいる。随分と閑散としている。手術室は広くはないが、中に何も器材らしきものがないので、ガランとした 皮肉屋なら殺伐としたと表現しそうだ。
 しかもやけに明るい。照明のせいというより、ばかでかい曇ガラス窓からの外光のせいかもしれない。左側の片隅にはいかにもやる気のなさそうな看護婦が壁際に立ち私に背を向けている。医師が右側に立っている。やたらと若い。

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2021/01/01

辿り着けない

Bikan ← ミカンに雪。美観です。


 体調なのか、やたらと夢を見る。日に何度も。寝たり起きたりの繰り返し。いつものことなので、心配無用。夢。ふと思う。夢は、我々と別の宇宙からの闖入なのではないか。眠ることで、心のバリアーが緩み、その隙をついて、異次元宇宙が我々の宇宙に顔を覗かせたのだ。なんて、思い始めた瞬間、目覚めちゃう。

 

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2020/11/18

首都高速に迷い込む…夢

 まさに丑三つ時に目覚めた。どうやら尿意のせいらしい。が、夢で起きたとも言える。稀に観るパターン。だが、もう何年にも渡って継続している。……場所は決まって(恐らく)首都高速道路の中。複雑に交差する路線。私達は気が付くと首都高速に迷い混んでいる。
 観ると沢山の人々も列を成して緩やかな登り勾配の道路の片隅を歩いていく。どうやら私は歩いたことがあるようだ。というのは、途中、別れ道に差し掛かり、多くが右手の道を行くのを、天の邪鬼かのように左手の道を選び、連れを従え進んだのだ。

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2020/10/16

ボクの世界は真っ赤な闇

「ボクの世界は真っ赤な闇」

 暗闇の何処かから声が聞こえる。声の主は目の前にいる。きっと先生だ。「10から1まで逆に言いなさい」とか何とか。生徒らは順番にハキハキと、中にはつっかえながらも、何とか答えている。やがてボクにも番がやってくる。ボクにできるだろうか。隣の女の子は、なんて綺麗な声なんだろう。「じゅう きゅう はち なな……さん にぃ いち。」ボクだ。みんなの目線がボクに集まる。何十もの目玉がボクの顔にへばり付く。視線というハリネズミの針がボクの心を突き刺す。椅子を引いて立ち上がるボク。「じゅう…きゅう……はち……」そこで止まってしまう。「なな」が言えない。

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2020/10/15

赤い闇

 手探りして歩いている。何処を歩いているのかさっぱり分からない。何故に歩くのか。それは走るのが怖いからだ。早くこの場を抜け出したいのだが、漆黒の闇が辺りを覆っている。ぬめるような感覚がある。巨大なナメクジに呑みこまれているようだ。
 息はできている。空気はあるのだろう。吸う。溜める。吐く。意識して呼吸する。体の中に何かを取り込んでいる。肺胞がギリギリの活動をしてくれている。

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2020/06/14

遠足が怖い

「クリスマスキャロル」を読んでたら(何十年ぶり!)、昔のことが思い出された。何があったわけじゃなく、その当時の自分のやるせない……居たたまれない感情。小学生の頃(中学生になってもだけど)、何が嫌いって、何が嫌だって、遠足ほど恐怖の日はなかった。遠足の日が近付くと胸が苦しくなる。いよいよ明日が遠足の日となると、願うのはただ一つ、一刻も早くその日が過ぎ去ること。ガキの頃 幾度となく受けた苦しい手術さえも比べものにならない苦しみ。

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2020/06/03

熊に襲われそうに

Yaneura_20200603212601 視野の隅に何か動く気配を感じた。見るとそれは熊、紛いもなく熊の鼻先だった。私は屋根裏部屋の窓際のベッドに寝ていた(そのベッドは、高校へ入学したころに、大工さんに作ってもらった特製の立派な木製のもの。父母が亡くなった2010年の秋だったかに、壊して、窓から眼下の庭に落として捨てた。屋根裏部屋はちょうど、茶の間の上にあり、ベッドに限らず上階の重みが気になっていたのだ。少しでも軽くしようと悪あがきしたわけである。)

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2020/05/30

シェリー:ヘラスとアドネイスより

Portrait_of_percy_bysshe_shelley_by_curr ← 1819年のシェリー (画像は、「パーシー・ビッシュ・シェリー - Wikipedia」より)

ラフカディオ・ハーン著作集第十二巻 英文学史Ⅱ」を読んでいて、実に瑞々しい詩を発見した。シェリー(かのメアリー・シェリー夫人の主人)の詩である。19世紀の初めにしてこのような感性の持ち主がいて、なおかつ吾輩のような詩の門外漢にさえも生き生きと訴えかける詩の作りてがいたこと驚いた。
 ラフカディオ・ハーンによると……:

(前略)ワーズワスはイギリスの詩に汎神論にも似た夢見るような宗教感情を導入した。しかしそれは本当の意味での汎神論ではない。(中略)ワーズワスは基本的には常に正統的であった。本当の汎神論がイギリスの詩で始まるのはシェリーPercy Bysshe Shelley (1792-1822)からである、として以下の二つの断片を示して説明している:

 

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2020/05/18

コウモリの夏

Yaneura  ← 屋根裏部屋の窓からの眺め

 小生の生まれ育った家は(但し病院で産声を上げたらしい)記憶に残る印象では、見渡す限りの田圃の中の寒村の一軒だった。
 実際には村ではなく既に町となっていたし、近くにはそれなりの商店も並んでいた。ただ、表通りから一歩とは言わないが数十歩も歩くと水田(田圃)や畑が広がっていて、町とはいいながら、敷地だけは小さからぬ家々が寄り集まっていた。

 (中 略

 まだいろんな生き物たちが我が家の庭や畑にもやってきてくれた頃、あるいは今、思えばその最後の頃だっただろうか、小生はコウモリと遭遇した。

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2020/05/11

マスクをするということ

 マスクをするということ。恐らく我輩には大方の方とは違う意味を持つだろう。生まれもっての障害と度重なる手術でやや歪な鼻や口。マスクで覆ってしまえばどんなに楽になることか。歪な部分を隠してしまいたい。そう願わずにいられようか……願わなかった日があっただろうか。  マスクをして口許を隠す。まともであるかのような幻想が現出する。他人の好奇の目、哀れむ目を気にせずに町中を闊歩できる。何処かの初めての店や場所を死を覚悟するほどの蛮勇を鼓舞してやっと訪れる……なんてことがなくなるのだろうから。

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