米研ぎに注射の夢に
16日朝の夢: (長い前段)土間かマンションの広間に30歳の私、知り合い(?)のやや歳上の顔は綺麗な女、私の先輩(男)とが居る。私は3合ほどのお米を研いでいる。が、女は鬼の形相で研ぎ方が雑だと怒っている。私は何がダメか分からないで途方に暮れ、ただ丁寧にやるだけ。見かねて先輩に替わる。なるほど綺麗に研げている。が、鍋には1合しかないぞ。見ると、残りの2合はいつの間にか、他の器に空けられている。なんだ、それでいいんなら、私だってと云いたくなるが……
16日朝の夢: (長い前段)土間かマンションの広間に30歳の私、知り合い(?)のやや歳上の顔は綺麗な女、私の先輩(男)とが居る。私は3合ほどのお米を研いでいる。が、女は鬼の形相で研ぎ方が雑だと怒っている。私は何がダメか分からないで途方に暮れ、ただ丁寧にやるだけ。見かねて先輩に替わる。なるほど綺麗に研げている。が、鍋には1合しかないぞ。見ると、残りの2合はいつの間にか、他の器に空けられている。なんだ、それでいいんなら、私だってと云いたくなるが……
今朝(二日の朝)の夢も不快なものだった: 私は手術室にいる。随分と閑散としている。手術室は広くはないが、中に何も器材らしきものがないので、ガランとした 皮肉屋なら殺伐としたと表現しそうだ。
しかもやけに明るい。照明のせいというより、ばかでかい曇ガラス窓からの外光のせいかもしれない。左側の片隅にはいかにもやる気のなさそうな看護婦が壁際に立ち私に背を向けている。医師が右側に立っている。やたらと若い。
まさに丑三つ時に目覚めた。どうやら尿意のせいらしい。が、夢で起きたとも言える。稀に観るパターン。だが、もう何年にも渡って継続している。……場所は決まって(恐らく)首都高速道路の中。複雑に交差する路線。私達は気が付くと首都高速に迷い混んでいる。
観ると沢山の人々も列を成して緩やかな登り勾配の道路の片隅を歩いていく。どうやら私は歩いたことがあるようだ。というのは、途中、別れ道に差し掛かり、多くが右手の道を行くのを、天の邪鬼かのように左手の道を選び、連れを従え進んだのだ。
「ボクの世界は真っ赤な闇」
暗闇の何処かから声が聞こえる。声の主は目の前にいる。きっと先生だ。「10から1まで逆に言いなさい」とか何とか。生徒らは順番にハキハキと、中にはつっかえながらも、何とか答えている。やがてボクにも番がやってくる。ボクにできるだろうか。隣の女の子は、なんて綺麗な声なんだろう。「じゅう きゅう はち なな……さん にぃ いち。」ボクだ。みんなの目線がボクに集まる。何十もの目玉がボクの顔にへばり付く。視線というハリネズミの針がボクの心を突き刺す。椅子を引いて立ち上がるボク。「じゅう…きゅう……はち……」そこで止まってしまう。「なな」が言えない。
手探りして歩いている。何処を歩いているのかさっぱり分からない。何故に歩くのか。それは走るのが怖いからだ。早くこの場を抜け出したいのだが、漆黒の闇が辺りを覆っている。ぬめるような感覚がある。巨大なナメクジに呑みこまれているようだ。
息はできている。空気はあるのだろう。吸う。溜める。吐く。意識して呼吸する。体の中に何かを取り込んでいる。肺胞がギリギリの活動をしてくれている。
「クリスマスキャロル」を読んでたら(何十年ぶり!)、昔のことが思い出された。何があったわけじゃなく、その当時の自分のやるせない……居たたまれない感情。小学生の頃(中学生になってもだけど)、何が嫌いって、何が嫌だって、遠足ほど恐怖の日はなかった。遠足の日が近付くと胸が苦しくなる。いよいよ明日が遠足の日となると、願うのはただ一つ、一刻も早くその日が過ぎ去ること。ガキの頃 幾度となく受けた苦しい手術さえも比べものにならない苦しみ。
← 1819年のシェリー (画像は、「パーシー・ビッシュ・シェリー - Wikipedia」より)
「ラフカディオ・ハーン著作集第十二巻 英文学史Ⅱ」を読んでいて、実に瑞々しい詩を発見した。シェリー(かのメアリー・シェリー夫人の主人)の詩である。19世紀の初めにしてこのような感性の持ち主がいて、なおかつ吾輩のような詩の門外漢にさえも生き生きと訴えかける詩の作りてがいたこと驚いた。
ラフカディオ・ハーンによると……:
(前略)ワーズワスはイギリスの詩に汎神論にも似た夢見るような宗教感情を導入した。しかしそれは本当の意味での汎神論ではない。(中略)ワーズワスは基本的には常に正統的であった。本当の汎神論がイギリスの詩で始まるのはシェリーPercy Bysshe Shelley (1792-1822)からである、として以下の二つの断片を示して説明している:
小生の生まれ育った家は(但し病院で産声を上げたらしい)記憶に残る印象では、見渡す限りの田圃の中の寒村の一軒だった。
実際には村ではなく既に町となっていたし、近くにはそれなりの商店も並んでいた。ただ、表通りから一歩とは言わないが数十歩も歩くと水田(田圃)や畑が広がっていて、町とはいいながら、敷地だけは小さからぬ家々が寄り集まっていた。
(中 略)
まだいろんな生き物たちが我が家の庭や畑にもやってきてくれた頃、あるいは今、思えばその最後の頃だっただろうか、小生はコウモリと遭遇した。
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