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2025/02/02

孤独を託つ宇宙

 今朝見た夢:

 今朝、目覚めた際の観ていた夢、恐らくは我輩が観た中で最もスケールの大きなもの。地球を遥か昔に飛び出した宇宙ロケット(の乗員たち)が、人類の遠い過去に築いた宇宙空間の中の橋頭堡たるステーションに辿り着いた。煌々と煌めく巨大な施設。が、そこは無人。誰も居るはずはない。我々は既に宇宙に置いて他者と出逢うことを期待していない。人類は宇宙に拡散し過ぎてしまったのだ。戻ることなど、何の意味もなさなくなった。旅は意味もなく続いていく。生命は宇宙で生き続ける。それぞれが孤独な点粒子として。 (01/14 09:23)

 ← 「The sword of justice confines an evil spirit.」

 

 生命とは何かと問われて私には、答える術はない。ただ、生命が何処かの時点で生じたのだとしても、それはこの大地の上であり、この地球の上であり、この銀河の中で生まれたのであるとは思っていい。その大地も宇宙も、われわれが狭い意味で思う<命>ではないとして、宇宙そのものだって変幻を繰り返していると考えたっていいはずなのである。生命と自然(宇宙)をそんなに截然と分ける必要もないと思う。
 悠久の宇宙、でも、その宇宙も巨大な闇の世界を流れる大河であり、どこから来てどこへ流れていくのか宇宙自身にも分からない。しかも流れるに連れて蛇行し変貌し、そのあるローカルな鄙びた局所に我々が生きているのだし、また違う荒野には生命どころか素粒子さえも形成できない宇宙が延び広がり、その茫漠たる宇宙の彼方には、あるいは別の緑野の地に生きる別の我々が生きており、此方のわれわれとの交信を夢みているのかもしれない。
 生命体の形がこの世界に生じてさまざまに変幻してきたように、われわれの心も身体の変貌に連れて変容する。それまでは感じられなかった世界が心の世界に飛び込んでくるようになる、そんな経験を幾度となく年を経るごとに誰だって多少は経験したのではなかったか。それを成長と呼ぶのかどうかは分からないが、その心の感じる世界の変容は、時に喪失の悲しみをも伴うのだが、それでも、年を重ねるということはそれはそれで祝福すべきものに思えるのである。だからこそ、成熟という表現もあるのだろうし。 (2008/07/01 画像は、「La Moon」より。)

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