昼行燈91「我が友は蜘蛛」
「我が友は蜘蛛」
蜘蛛の行方を追っていた。部屋の中に一人いると、暇を持て余す。テレビもラジオも飽きた。ネットも観るところは同じ。所詮は自分の選ぶ世界で、つまりは己の手の平の上を堂々巡りしているようなもの。自分の顔を観ているようなものなのだ。
音楽も俺にはうざい。音を楽しむ。音の愉しみ。流行りの曲はどれも同じように聞こえてならない。要するに俺は若くはない、今どきの音楽シーンからは相手にされてないってことだ。
別に構わない。それでなくたって音に溢れた世界じゃないか。音のない世界などありえないだろう。もし聴けるなら自然の音を聴きたい。
自然の音? 自然の音って何だ。風の音か、せせらぎの音? 野鳥のさえずりか。近所の家には暖炉がある。そうだ、焚火の音かもしれない。
そうだ、雨音だ。雨音はショパンの調べって誰かが言ってたっけ。
ああ、俺はなんて想像力が貧困なんだ。なんだか、ヒーリングミュージックのメニューのオンパレードじゃないか!
いつだったか山の中に分け入ってまさに自然の音を聴こうとしたことがあった。森の中の無音の音を聴こうとしたのだ。ダメだった。耳を済ませたら想像以上にやたらと音が聞こえてくる。木の葉の擦れる乾いた音。得体の知れない唸りなのか響きなのか。森の中の木の倒れる音? そんなものが聞こえるのか?
終いには、奇妙な足音までが聞こえてくる始末だ。下手すると熊か狼か狐か鹿か狸か。臆病な俺はさっさと逃げ帰ったものだ。都会育ちの俺には森の音は鬼門だ。
あくせくした挙句、俺は部屋の中に閉じ籠ってしまった。自分が何を求めているのか分からなくなってしまっていた。自然の音を追い求めているといいつつ、孤独を癒したいだけなんじゃないか。孤独を癒す音、孤独な胸の穴を埋めてくれる何か。
で、行き着いた果てが天井の隅っこを這い回る蜘蛛ってわけだ。今じゃ蜘蛛だけが俺の友達なのだ。蜘蛛は何も語らない。蜘蛛は黙って一人動き回っている。黙って…ってホントに黙ってるんだろうか。蜘蛛は孤独なのか。そんなことなど考えもしないのか。それとも餌にあり付くのに懸命なのか。俺のことなど眼中にないのだろう。
気恥ずかしい記憶が蘇ってきた。「我が友は蜘蛛!」なんてエッセイを書いたことがある。誰にも内緒だ。誰にも気付かれることなく、消滅した一文だ。自分ですら何を書いたか忘れた。ただ、後日談だけは残ってる。こちらも早々に消滅の憂き目に遭うのは必定だ。
毎年のように蜘蛛の奴が現れる。我が家に居着いて何年にもなる。さすがにもう相当にデカくなってもおかしくないはずなのに、毎年似たような図体なのはどうしたわけだ? お前は去年の、一昨年の蜘蛛とは違うのか。それとも子供? 孫? 蜘蛛を巡る想像は妄想の域に達しそうだった。俺は蜘蛛に何を求めているんだろう。
天井やトイレの出入り口や、玄関の片隅に巣とも言えない網が残ってる。全部お前の巣なのか。港々に女あり…雌の蜘蛛が待ってるのか。羨ましいぞ。何だか訳の分からない嫉妬心が俺の脳裏を火照らせてくれた。バカみたいだ。
でもいいんだ。お蔭でほんの暫しの時を充実させてくれたのだから。
(トップ画像は、「誰もいない森の中の倒木の音」より。途中の画像は、「「蜘蛛の巣」という永遠」より)
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