昼行燈74「負け犬の遠吠え」
そんな風に思った時期もある。そう思いたかったのだろう。この世への、あるいはあの世への憧れ。満たされない魂。叶えられない夢。果たされない願望。理解されない望み。誤解と曲解と無理解の泥沼。無慙にも奪われた命。生まれいずることもないままに闇から闇へ消え行った命。芽吹いたその日から岩の下で呻吟するだけの命。どうしてこの世はこうであって、このようではない風ではありえないのか。理不尽極まるじゃないか。
だからこそ、何か心とか、魂とか、情念とか、怨念とか、幽霊とか、とにかくこの世ならぬ存在を希(こいねが)う。永遠の命。永遠の魂。穢れなき心。
そうした万感の思いにも関わらず、今は、心とは物質だと思っている。物質とは究極の心なのだと思っている。物質がエネルギーの塊であるように、物質は心の凝縮された結晶なのだと思っているのである。
結局のところ、あるのは、この世界なのであり、それ以外の世界はないのだという、確信なのだ。あるのは、この腕、この顔、この髪、この足、この頭、この今、腹這う場所、この煮え切らない、燻って出口を見出せない情熱、理解されない、あるいは理解されすぎている自分の立場、そうした一切こそがこの世界なのであり、自分の世界なのだという自覚なのだ。
穢れなき…。
しかし、穢れとは何か、自分が気に食わない何かが自分を歪めているという思い込みに過ぎない。が、気に食う食わないなどに関係なく、自分は自分の望むような人間ではありえないのだ。仮に一瞬でも、何か完璧な瞬間があったとしても、それは束の間の夢か幻だ。決して持続しない。万が一、至上の時が数瞬でも続いたとしたら、心が何も望まなくなった時であり、肉体が新陳代謝を止めた時であり、つまりはそれは死の時以外の何ものでもないのだ。
地を歩き回る蟻も地の中のミミズも、風にそよぐ木の幹も、風に舞う木の葉も、舞い上がる埃も、降る雨も、軒を伝う雫も、水を跳ねて行き過ぎる車も、皹の入ったブロック塀も、根腐れしている垣根も、明かりの洩れる窓辺も、急ぎ足の人も、心を病む人も、その一切がこの世の風景であり、そしてこの世の風景以外には、何もないのだ。宇宙に心を遊ばせても、その心はこの世に粘りついている。この世の森羅万象に絡め取られている。
負け犬の遠吠えなのか。
[拙稿「物質的恍惚の世界を描く!」より]
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