昼行燈67「真冬の月と物質的恍惚と」
北欧などでは、日中の陽光など弱々しくて、むしろ逆に夜の月のほうがはるかに人に鮮烈だと聞いたことがある。
日中は、そこそこに明るくても、それは当たり前のこと。それが夜のはずなのに、地上世界が余すところなく照らし出され輪郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。まるで、自分の密やかな思いさえもが曝け出されているように想われて来る、のだろうか。
はるか遠くの山並みの影さえ、透明な闇の空を背景に妥協を一切、許さないとでも言うかのように形を示している。形を夜空に向って刻み込んでいるようにさえ思えてくる。
漆黒の闇から、紺碧の青、そして月光の故の淡い青まで冬の空は夢幻に変幻してやまない。
月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。
こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。この世にあるのは、物質だけであり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人がいる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れかえっているのだ。
けれど、そうした生命の一切も、いつかしらはその物語の時の終焉を迎えるに違いない。何かの生物種が繁栄することはあっても、やがては他の何かの種に主役の座を譲る時が来る。その目まぐるしい変化。そうした変化に目を奪われてしまうけれど、そのドラマの全てを以ってしても、地上世界の全てには到底、なりえない。
真冬の夜の底、地上世界のグランブルーの海に深く身を沈めて、あの木々も、あそこを走り抜けた猫も、高い木の上で安らぐカラスも、ポツポツと明かりを漏らす団地の中の人も、そして我が身も、目には見えない微細な生物達も、いつかは姿を消し去ってしまう。
残るのは、溜め息すら忘れ去った物質粒子の安らぐ光景。
そう、きっと物質を物質だと思っているのは人間の勝手な決め付けに過ぎないのかもしれない。命の輝きだって、物質の変幻の賜物なのであり、命が絶えるとは、刹那の目覚めから永遠の安らぎの時への帰郷なのかもしれない。
それとも、命とは、物質の輝きそのものなのか。
遠い昔、この世に何があるかを問うてみたことがある。何かを分かりたくてならなかったから。
今はそんなことはしない。あること自体が秘蹟と感じるから。この世が幻であっても、その幻が幻として変幻すること自体が不可思議だと感じる。感じるだけで十分。命とは物質の刹那の戯れなのかもしれない。物質は命よりも豊かな夢を見る可能性を孕んでいるに違いないと思う。
自分という掛け替えのない存在という発想を持ったこともないわけではない。せめて、世界の全ての人がオンリーワンであるという意味合いの程度には自分もそうであってほしいと願っても見たことがあるだけである。
けれど、それも傲慢なのだと感じている。
己がオンリーワンなのだとしたら、同じ権利を以って、地上世界の物質粒子の一粒一粒の全てがオンリーワンのはずなのだ。虫けらも踏み躙られる雑草も、摘み取られる花も、路上の吸殻も、壁の悪戯書きも、公園に忘れ去られた三輪車も、ゴミ箱に捨てられた雑誌も、天頂の月も星も、その全てがこの世の星であり光なのであり、つまりは物質の変容なのだ。
自分が消え去った後には、きっと自分などには想像も付かない豊かな世界が生まれるのだろう。いや、もしかしたら既にこの世界があるということそのことの中に可能性の限りが胚胎している、ただ、自分の想像力では追いつけないだけのことなのだ。
そんな瞬間、虚構でもいいから世界の可能性のほんの一旦でもいいから我が手で実現させてみたいと思ってしまう。虚構とは物質的恍惚世界に至る一つの道なのだろうと感じるから。音のない音楽、色のない絵画、紙面のない詩文、肉体のないダンス、形のない彫刻、酒のない酒宴、ドラッグに依らない夢、その全てが虚構の世界では可能のはずなのだ。
そんな夢をさえ見させる真冬の月は、なんて罪な奴なのだろう。
[「真冬の月と物質的恍惚と」(04/01/23 記)より抜粋。]
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