昼行燈68「喧騒のあとで」
朝の光が、この世界を照らし出す。言葉にすれば、それだけのことなのだろう けれど、そし て日々繰り返される当たり前の光景に過ぎないのだろうけれど、でも、今日、この時、自分が 眺めているその時にも、朝の光に恵まれるというのは、 ああ、自分のことを天の光だけは忘れ ていなかったのだと、妙に感謝の念に溢れ てみたり、当たり前のことが実は決して当たり前の 現象なのではなく、有り難き ことなのだと、つくづく実感させられる。
もう、すでに短い人生とは呼べない年齢になった。しかし生き過ぎたほどに生 きたわけでも ない。体の衰えは、隠しようもない。が、まだ、動くことができる。 歩くこともできる。じっくりと時の流れに向き合うこともできる。
たとえ、誰一人、この瞬間に立ち会ってくれる人がいないとしても、とにもか くにも生きて 大地の片隅に立っていることだけは、間違いようのない事実のはずだ。
見回した周囲には、コンクリートとアスファルトとガラスとステンレススチールとプラスチックと 化学繊維と漂 白された紙の礫(つぶて)と化粧紙に覆われた壁とがあるだ けの自分の世界。
そして それ以上に情の根の涸れたような、泉の源からは遠く離れてしまった自 分の心。日々の営みに 我を忘れている。明日への気苦労に、自分が本当は素晴ら しく有り難き世界に生きているはず の奇跡を忘れ去ってしまっている。
海の底の沸騰する熱床で最初の生命が生まれたという。命に満ち溢れた海。海 への憧れと恐 怖なのか畏怖なのか判別できない、捉えどころのない情念。
命という、あるいは生まれるべくして生まれたのかもしれないけれど、でも、 生まれるべく してという環境があるということ自体が自分の乏しい想像力を刺激 する。刺激する以上に、圧 倒している。
自分が生きてあることなど、無数の生命がこの世にあることを思えば、どれほ どのことがあ るはずもない。ただ、命があること自体の秘蹟を思うが故に、せめ て自分だけは自分を慈しむ べきなのだと思う。生まれた以上は、その命の輝きの 火を自らの愚かしさで吹き消してはなら ないのだと思う。
そうでなくたって、遅かれ早かれ、その時はやってくるのだ。
宇宙において有限の存在であるというのは、一体、どういうことなのだろう。
昔、ある哲 人が、この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる、と語ったと いう。宇宙は沈黙しているのだろうか。神の存在がなければ、沈黙の宇宙に生き ることに人は堪えられないというのだろうか。
きっと、彼は誤解しているのだと思う。無限大の宇宙と極小の点粒子としての 人間と対比して、己の存在の危うさと儚さを実感したのだろう。
が、今となっては、点粒子の存在が極限の構成体ではないと理解されているように、宇宙を 意識する人間の存在は、揺れて止まない心の恐れと慄きの故に、極 小の存在ではありえない。 心は宇宙をも意識するほどに果てしないのだというこ と、宇宙の巨大さに圧倒されるという事 実そのものが、実は、心の奥深さを証左 している。
神も仏も要らない。あるのは、この際限のない孤独と背中合わせの宇宙があれ ばいい。自分 が愚かしくてちっぽけな存在なのだとしたら、そして実際にそうな のだろうけれど、その胸を 締め付けられる孤独感と宇宙は理解不能だという断念と畏怖の念こそが、宇宙の無限を確信さ せてくれる。
森の奥の人跡未踏の地にも雨が降る。誰も見たことのない雨。流されなかった 涙のような雨 滴。誰の肩にも触れることのない雨の雫。雨滴の一粒一粒に宇宙が 見える。誰も見ていなくて も、透明な雫には宇宙が映っている。
数千年の時を超 えて生き延びてきた木々の森。その木の 肌に、いつか耳を押し当ててみたい。 きっと、遠い昔に忘れ去った、それとも、生れ落ちた瞬間に迷子になり、誰一 人、道を導い てくれる人のいない世界に迷い続けていた自分の心に、遠い懐かし い無音の響きを直接に与え てくれるに違いないと思う。
その響きはちっぽけな心を揺るがす。心が震える。生きるのが怖いほどに震え て止まない。 大地が揺れる。世界が揺れる。不安に押し潰される。世界が洪水と なって一切を押し流す。
その後には、何が残るのだろうか。それとも、残るものなど、ない?
何も残らなくても構わないのかもしれない。
きっと、森の中に音無き木霊が鳴り続けるように、自分が震えつづけて生きた、 その名残が、何もないはずの世界に<何か>として揺れ響 き震えつづけるに違い ない。 それだけで、きっと、十分に有り難きことなのだ。
(「 石橋睦美「朝の森」に寄せて」 ( 03/06/22 記)より)
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