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2024/01/05

昼行燈57「ドキュメント 脱糞だ!」

Bebchi   ドキュメント 脱糞だ!
(旧タイトル:痔物語、あるいは、我が生涯最悪の日)

 あれからもう何年経ったことだろう。十五年は過ぎたかもしれない。
 あの日、小生はいつも通り会社へ行った。朝は特段、異変を感じてはいなかった。
 普段どおりの生活が始まっただけだった。

 かすかな記憶では、出社の途上、駅前の行き付けの立ち喰い蕎麦屋で好物のコロッケうどんを食べたような気がする。そこのうどんは評判だったのである。今はどうなっただろうか。今も繁盛しているだろうか。

 会社は倉庫の中三階にあり、実際に働く場所は倉庫の三階にある。三階といっても、通常のビルだと五階には相当する高さがあるだろう。
 小生はリーチフォークリフトを操ったりしつつ、現場で輸出商品の在庫管理などの作業員として働いていた。

 仕事の開始時間は朝の10時である。性分なのか、早めに会社に出る小生は事務所でお茶をし、新聞を読み、朝礼が終わって、10時から現場で働き始めた。つまり、何の変哲もない日常があったわけである。

 が、その日は、いつも通りとはいかなかった。
 働き始めて数十分もしただろうか、妙に御腹が張る。下っ腹が窮屈に感じられたのだ。

 初めの感じでは、別に便意というわけでもないようなので、トイレに行く積もりも必要も感じなかったのだが、気分転換のつもりで外階段にあるトイレに入ってみた。
 けれど、何の甲斐もなくトイレから出るだけだった。
 そうこうしているうちに次第に御腹の張りようが異様になってきた。下る感じはないのだが、しかし、便が出口付近でとぐろを巻いているらしいことは否めなくなってきたのである。しぶしぶ幾度目かのトイレへ。

 それでもやっぱり何も出ない。出る気配もない。でもたっぷり溜まっている。今にも菊の門が破裂しそうなほどに溜まっている。
 間違いなく切羽詰っている。が、出る気配はない。すごすごトイレを出る。

 きっと古い便が出口付近に溜まっているのだが、便意を催す辺りにはそれほど便がないのか、それともあまりに大量に溜まっているので、便意のサインを送るべき腸の神経が麻痺しているに違いないのだ。

 もう仕事など手につかない。リーチのハンドルを握る手に冷や汗が滲む。腹は破裂しそうな不穏な様子である。

 出る予感などまるでないのだが、またトイレに駆け込んだ。
 そう、ついに、長い長い戦いが始まったのである。
 いや、既に始まっていたのである。

 トイレで力んだ。とにかく溜まっていることだけは確かなのだから、少しでも出さなければならない。少しも便意を感じないから、なんて言っていられない。出すんだ!出るんだ!出ろ!出よ! 出てぇ!

 でも、出ない。
 しまいには何が立ってきてしまった。前立腺が刺激されると何が立ってしまうという例の男の悲しい性(さが)である。今ならチン骨隆々、堂々たる雄姿が拝めただろう!

 トイレで力んだ。唸ってしまった。
 異変に気づいたのか、誰か外で小生の様子を伺っている奴がいる。

 後日だったか、誰かが、小生がトイレでオナってしまった、などととんでもない噂を立てる始末だった(誰が会社の倉庫のトイレでオナルものか!)。
 あるいは、トイレで小生が居眠りしていたとチクル奴もいた。それはきっとトイレで力みすぎて思わず上げた悲鳴が、何処か発射する瞬間の唸り声に似ていたからかもしれない。

 その日、とうとう我慢がならず、社長に「体調が悪いので今日はこれで帰らせてもらいます」とお願いして早退させてもらった。小生の顔は既に青ざめていたに違いない。すぐに社長は許してくれた。

 会社から自宅へどのようにして帰ったのか、全く覚えていない。
 溜まっていることは間違いない。しかし、出るものが犇き合っているという気配はあるのだが、出る見込みはないのだから、途中で便意でトイレを探す心配など不要だったことは確かだ。
 仮に幸運にも出るような状況になったとしても、出す際に、痛さの余り気絶する恐れはあったように思う。
 体中、冷や汗、脂汗でベトベトになっていた。
 帰宅した時にはもう流れる汗も干上がっていたように思う。

 さて、それからは又、ワンルームの我が部屋の中でトイレと椅子(ロッキングチェアー)との往復である。出る気配はないのだが、溜まっているのだから、とにかくトイレに駆け込み、便座に腰掛けて祈るような思いで出ることを希(こいねが)った。

 それでも出る感じはやってこない。

 便座に腰掛け、ウンウン唸りつつ、帰り道、どうして薬局によって下剤を買わなかったのだろうと少々の後悔をしていた。
 実を言うとチラッとは買うことを考えなかったわけではない。
 が、どうしても薬局や病院に寄る決心が付かなかったのだ。それは小生が医者も、薬も大嫌いだからである。もっとも立ち寄って話をする余裕もなかったし…。

 同時に、このようなケースの場合、下手に下剤など処方したら、返って拙いのではないかと素人考えが働いたこともある。
 小生には下剤(便秘薬)という薬の効く原理が分からない。
 が、とにかく今回のケースでは出口に古い糞便が溜まっている。溜まっているだけではなく、凝り固まっているに違いないのである。自宅の便座に腰掛ける頃には、そこまでは考えが至っていた(妥当かどうかは今も分からない、あくまで素人判断である)。

 仮にそうだとしたら、下剤で腸の何処かの辺りの便が腸の下剤の薬による排便作用で急激にでも下り始めたとしたら…。出口が固まった古い宿便で塞がれているのに、そこへ一気に腸の中途に止まっていた新手の糞便が押し寄せたなら…。どんな悲惨な事態が生じることか。
 考えるだにおぞましいではないか。
 下手すると逆流して口から糞を噴き出すやもしれない!

 結局、小生は原点に返ることにした。つまり、力づくでもひりだすことにしたのである。

 小生は部屋の中で転げまわった。勿論、とっくに素っ裸になっている。便意が襲ったらすぐにでもトイレに駆け込めるためである。
 転げまわったのは、御腹が苦しいせいもあるが、転げまわることで菊の門の瀬戸際に屯(たむろ)する性質(たち)の悪い宿便が少しでも砕けたり柔らかくなったりすることを期待してもいたからである。

 眩暈のするほど転げまわった挙句、トイレに駆け込み便座に跨って腹筋と、更には御腹(おなか)に手をあてがって介添えをして、無理矢理に糞を出そうとした。すると…。

 すると、なんと便器の底の水が赤く染まってきたではないか!

 血が一滴、そして一滴と菊の門から垂れ落ち始めたのである。どうやら筋肉が裂け始めたらしい。
 が、その代わりというわけでもないだろうが、パチンコの玉より小さ目のコロコロの赤茶けた便の塊(かたまり)が一粒、ポトリと便器の水に落ちた。トイレの水は赤くなっていたのを既に流しているから、透明な水にその赤っぽい便の小さな球が淡くピンクに水を染めつつ、沈んでいくのがハッキリ見えるのだった。

 こいつなんだ、俺を苦しめていたのは…。
 それでも、それはほんの最初の一個に過ぎなかった。

 その一粒を出してから、トイレを出て、又、部屋の中を裸で転げまわった。昼前には会社を早退したのだが、既に宵闇が漂い始めている。
 が、そんな柔らかな時の移ろいの余韻を楽しんでいる場合では無論、なかった。

 しばし、ベッドに横になって戦いの疲れを癒そうとした。癒せるわけがなかった。そしてまた、戦いが始まるのだった。
 やがて心機一転、トイレへ。そして小生をあざ笑うかのように、また、一粒、凝り固まった糞便の玉が水槽にポトンと落ちるのだった。ついでとばかり血の雫も垂れることを忘れないで。

 もう、小生は悟りの境地に入っていた。走ることの好きな小生である。特に長距離が好きである。長い距離を淡々と走っていると、そのうちに走っているのか風景が流れていくのか分からない瞬間がやってくることがある。苦しみの峠を幾つも越えると、ほんのたまに訪れる僥倖(ぎょうこう)として、そんなハイな境地に恵まれることがあるのだ。
 エンドルフィンとかいう快楽物質が分泌されるせいだという研究もあるらしい。

 が、今はそんな薀蓄(うんちく)を傾けている場合じゃない。それどころかウン蓄している真っ最中なのだ。

 長い修行に耐えて、今や悟りを得る寸前にあったようにさえ、思った。痛みなど何ほどのことがあろうか。たかが糞便くらいでジタバタするもんじゃない。部屋の中を転げまわるのは、修行のためであって、ただジタバタしているんじゃないんだぞ! なんて、誰に向かってか叫んでみたりする。

 修行はするものである。目出度いときはやってきた。懐かしい感じがやってきたのだ。便意という奴が小生を忘れないでやってきてくれたのである。
 幾粒の赤茶けた便の玉を血の滴りと共に排出した挙句だったろうか。
 しかし、それは同時に悲壮なる覚悟のいる瞬間でもあった。

 先触れともいうべき小粒な小童(こわっぱ)どもではなく、いよいよ本隊が出口で出陣の時を向かえたと告げているのである。
 それは鎧兜に身を包んだ兵(つわもの)揃いの一隊である。チームワークは抜群である。様子を伺うための尖兵たちではなく、一騎当千の武将が、しかも一丸となっているのだ。そいつらの槍や刀を振り翳しての突進のとき、我が紅顔の美少年…じゃない、我が肛門はどのような状態になるか想像するだにおぞましい。

 とはいっても突破を許すしかない。菊の門が裂けても、二度と塞がることがないとしても、一気の突破をしてもらうしかないのだ。
 固い宿便の山塊は今や遅しと出番を待ち構えていた。間違いなく便意が感じられている。
 懐かしい感覚ではあるが、しかし、今度ばかりは呑気にその感覚に身をゆだねるわけにはいかないのだった。

 また、幾度となくトイレと部屋の往復を繰り返した。部屋で転々しては、少しは柔らかくなっただろうと期待して便座に腰掛ける。が、やはり奴は表情を固くしたままなのである。否、意地でも出てやるもんかと、一層、依怙地に凝り固まるのだった。
 小生、雲古の猛々しい、気迫溢れる神々しさに、情ないことに、出す決心がくじけたりする。

 既に窓の外は真っ暗闇である。不思議なのは、自分でも気が付かないうちにちゃんとカーテンは閉めてあることだ。
 それとも最初から閉めてあったのだろうか。
 あるいは閉めたとして、一体、いつ頃、カーテンを閉めたのか…。

 見れば部屋の中は煌々と蛍光灯の明かりが灯っているではないか。
 晧々と燈る部屋の中で真っ裸の小生が転げまわる姿が、向かいの巨大な都営団地から覗き込まれたのではないか、という疑念がほんの一瞬、湧いた。
 が、そんなことを気にしている場合ではない。

 窓外の眼下には、 いつもと変わらない、都会の白々とした風景が広がっている。
 ガラス窓一枚挟んだ部屋の中で、悶々とした裸の小生が血圧がリミットを振り切って、顔も体も興奮で真っ赤にしつつ、転げ回っているなどとは信じられない気がする。

 …なんて感傷に耽っている場合ではなかった。とうとう小生は決心を固めた。憎き糞便よりも固く決意を固めたのだった。

 やったろうじゃないか!
 今度こそ、やってやると悲壮な決意を秘めてトイレに入り便座に腰掛けて、ひり始めた。
 強烈な痛みが襲った。体が熱くなった。とうに流れることを忘れていたはずの脂汗が再び流れ始めた。固い固い糞便の塊は、その表面がザラザラした感触があった。柔らかな肛門の筋肉の表面の粘膜はとっくに剥げ落ちていたに違いない。

 不意にザラザラした大地、という誰かの言葉を思い出した。が、そのことに意味はない。

 やがて肛門も裂けよとばかりの痛みが小生を襲った。今だ! 今を逃してはならない! 
 小生は一世一代の覚悟を決めて、肛門の上の腹筋に力と祈りを篭めて糞便の塊を追い出しに掛かった。できることなら糞便の首根っこをむんずとばかりに掴んで引っ張り出したい気持ちだった。

 ああ、ウンコよ!
 出す! 出よ! 出る! 出ん! 出て! 出てって、お願い!

 そして、気の遠くなるほどに長く太い奴が便器の底にとぐろを巻き始めた。救いの瞬間が今あった。約、十二時間に及ぶ戦いはこうして幕を下ろした…。

 

(旧稿「痔物語、あるいは、我が生涯最悪の日」(01/07/08)より抜粋。一部、改稿した。)

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