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2024/01/05

昼行燈56「蝋燭の焔に浮かぶもの」

Rosoku_20240105034101   蝋燭の焔に浮かぶもの

 

 漆黒の闇の底を流れる深い河。そこに蛍の火のような灯りが舞い浮かぶ。風前の灯火。でも、俺には命の輝きなのだ。あと何日、こんな眩い煌きを堪能することができるだろうか。
 ……
 だから、俺は蝋燭の焔よりもっと儚い、けれど、だからこそ切ない煙草の火を愛でることに集中できるのだ。

 煙草の煙が舞い上がって、木立の透き間に差し込む街灯の光を一瞬、浴びる。
 紫煙の夢幻に変貌する形。
 魂の形。男と女の形。あの人の形。手の届かない夢の形。
 俺は自分が今こそ本物の詩人になったような気がする。

 読書というのは、薄闇の中に灯る蝋燭の焔という命の揺らめきをじっと息を殺して眺め入るようなものだ。読み浸って、思わず知らず興奮し、息を弾ませた挙げ句、蝋燭の焔を吹き消してはならないのだろう。
 そう、じっと、焔の燃える様を眺め、蝋燭の燃え尽きていくのを看取る。
 それは、まるで自分の命が静謐なる闇の中で密やかに滾っているようでもある。熱く静かに、静かに熱く、命は燃え、息が弾む。メビウスの輪のある面に沿って指をそっと滑らせていく、付かず離れずに。
 すると、いつしかまるで違う世界にいる自分に気が付く。見慣れないはずの、初めての世界。なのに慕わしく懐かしい世界。読書という沈黙の営みを通じて、人は自分の世界を広げ深めていくのだろう。何も殊更に声を上げる必要などないのだ。
 気が付けば蝋燭の火も落ちている。命を燃やし尽くして、無様な姿を晒している。けれど、冷たい闇の海の底にあって、己の涸れた心に真珠にも似た小さな命が生まれていることに気付く。蝋燭の焔の生まれ変わり? 
 そんなことはどうでもいい。大切なのは、読書とは、何時か何処かで生まれた魂の命の焔を静かに何処の誰とも知らない何者かに譲り渡していく営みだということに気付くことだ。読むとは、自分がその絆そのものであることの証明なのではなかろうか。

 そんな、優しいというより、老い衰えた光に包まれつつ、夜の風景を見るともなしに眺めていると、まるで自然な連想のように蝋燭の焔に照らし出された世界に没入していくのである。
 但し、車内灯と似て非なる光の源である蝋燭の焔としてである。豆電球の灯りも嫌いではない。ただ、時間が経過すると劣化するのか、光さえもが衰滅していく。光源が最初は直視もままならなかったのが、いつしか線香花火の末期の悪足掻き、それとも白鳥の歌と美化して表現してやったほうがいいのか、惨めなほどに小さく且つ弱い光の玉がそこにあることが知れるようになる。
 その点、蝋燭の焔はまるで違う。最後の最後に形が崩れ去って芯が蝋に埋まってしまうまで同じような光を放ち続けるのだ。電球の光も不思議だが、蝋燭の焔の恵んでくれる光も不思議だ。何が不思議といって、別にメカニズムがどうこうということではない。そんなことは大方は説明し尽くされているのだろう。

 何があるのか。何がないのか。何かがあるとかないとかなどという問い掛けそのものが病的なのか。
 闇の中、懸命に蝋燭の焔を思い浮かべる。そう、魂に命を帯びさせるように。それとも、誰のものでもない、命のそこはかとない揺らめきを、せめて自分だけは見詰めてやりたい、看取ってやりたいという切なる願いだけが確かな思いなのだろうか。
 きっと、魂を見詰め、見守る意志にこそ己の存在の自覚がありえるのかもしれない。風に揺れ、吹きかける息に身を捩り、心の闇の世界の数えるほどの光の微粒子を掻き集める。けれど、手にしたはずの光の粒は、握る手の平から零れ落ち、銀河宇宙の五線譜の水晶のオタマジャクシになって、輝いてくれる。星の煌きは溢れる涙の海に浮かぶ熱い切望の念。


 蝋燭の焔もいつしか燃え尽きる。漆黒の闇に還る。僅かなばかりの名残の微熱も、闇の宇宙に拡散していく。それでも、きっと尽き果てた命の焔の余波は、望むと望まざるとに関わらず、姿を変えてでも生き続けるのだろう。一度、この世に生まれたものは決して消え去ることがない。あったものは、燃え尽きても、掻き消されても、踏み躙られても、押し潰されても、粉微塵に引き千切られても、輪廻し続ける。
 輪廻とは、光の粒子自身には時間がないように、この世自身にも実は時間のないことの何よりの証明なのではなかろうか。だからこそ、来世では誰も彼もが再会すると信じられてきたのだろう。

 

[拙稿「蝋燭の焔に浮かぶもの」より。]

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