昼行燈54「The Walking Man」
真夏の夜中、あまりの暑さに涼みに外へ飛び出した。途端にボコッと音がした。置き去りにしていたバケツを蹴飛ばしてしまったようだ。出てはいけないとでも? でも、行かなくちゃいけない。誰かに逢いたいと、胸の内で叫んでいた。逢わないといけない。行かなくちゃいけない。
でも何処へ?
野中の一軒家だし、誰も見咎める者もいない。梟どころか虫の声さえ聞こえない。せめて鳥でも鳴いてくれないか。
一人きりの道。月影もない。月が照っていても、深い緑に煌めきは遮られているのかもしれない。歩いても歩いても一人。
夜道なのか、それともやたらと暗い道なのか、時間が分からなくなっている。
するとそこに過ぎている路に小さな影が。観ると、それはトボトボ歩いてる子だった。
何処から来たの? 何処へ行くの?
訊いてみたかった。でもできなかった。ただ遠くから見守るだけだった。
そう、見過ごすしかできなかったんだ。
あのギュッと絞られ捩られたような小さな影。昔、友人宅で観たジャコメッティの針金のような。血肉どころか骨さえ削られ抉られたような。
宵闇より影の薄い影。今にも融けて消え入りそうな影。
道の両側から覆いかぶさる木立ちの枝葉が今にも襲い掛かり呑み込みそうだ。風もないのに木立ちがゆらゆら揺れてる。
路傍は草茫々。蔦やら片喰(かたばみ)やら雀の帷子(すずめのかたびら)やら蓬(よもぎ)やら狗尾草(えのころぐさ)やら。
猫じゃらしに背高泡立草に薺(なずな)に曼珠沙華に。
もう季節なんて無茶苦茶だよ。何が何だかさっぱりだ。夜の底に宇宙が広がっている…はずだ。それとも闇の宇宙なのか。掴みどころがない。涙がいつしか草露に混じりゼリー状になってる。流れてくれないのかい?
あの子は何処へ消えた? 大人のはずが自分があの子に、連れてってと叫びそうだった。叫べばよかったんだ。恥も外聞もないじゃないか!
蓑虫の自分。蓑が剥がされそうだ。もう限界じゃないのか?
世界は広いよ大きいよ、深くて覗き込んだって底が見えないほど。豊か? 何が世界を満たしているのだろう。寂しさ悲しさ喜び怒り…それとも悲鳴? 豊饒の海に溺れてしまう。豊満過ぎて手応えがない。
ああ、あの子は何処へ行ったんだ。連れてってくれたってよかったろう?
[画像は、「【今日の一作】アルベルト・ジャコメッティ「The Walking Man Ⅰ」 - 芸術文化交流事業・美術書籍・美術展企画・海外展覧会|IMS|クリエイトアイエムエス」より「アルベルト・ジャコメッティ作「The Walking Man Ⅰ」1960」]
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