昼行燈49「雪蛍の舞った頃」
「雪蛍の舞った頃」
窓外の雪を見ていると、何か胸が締め付けられるような、自分がここにいるべきじゃなくて、何処か他にもっと自分がいるべき場所があり、そこで誰かが俺を呼んでいる…といったような、郷愁とも違う、不思議な感傷に囚われるものである。
私が未だ郷里である富山で住み暮らしていた頃は、まだ雪も毎年、たっぷり降ったものだった。だから、3月になっても、さすがに降雪の日は少ないとしても、根雪は深く固く大地を覆っていた。
特に民家の屋根などからの雪や、道を空けるために道端などに積み上げられた雪は、3月の初めや半ばだと、当分溶けそうにないように感じられる季節だったように思う。
夜、家族のものが寝静まった頃、こっそり家を抜け出して、銀色一色の世界へ踏み出していくのが大好きだった。部屋の明かりを消しても、曇りガラスの窓だし、カーテンだってされているのに、部屋の中が青白い光で満たされていて、とてもじゃないが、眠る気にはなれなかったのだ。
雪の降り積もる頃となると、部屋に閉じ篭って、いつもより早く灯りを消したりさえしたものだった。時には、学校から帰り、遊び友達ともはぐれた時、なんとなく漫画を読む気にもなれなかった時、家の奥の座敷に篭ってみたりする。
夕方というには未だ早いはずの4時頃には、薄暗くなり始める。が、その暗さの中に微妙な、曖昧としか言えない感覚が漂い始める。
何か光の微粒子らしきものが、薄暮の中に幽かにだが明滅し始めるのである。襖の締め切らなかった透き間から、あるいは障子戸の白い紙を透かして、雪明りの洪水が密やかに染み込んでくるのだ。
なのに薄闇の中にいる自分には、まるで光が部屋の闇の中で生まれ、それが部屋から溢れ出して、外の世界を蒼く溺れさせていく…、そんな錯覚を覚えてしまうのである。
自分の小さな心の中の、小さな、取るに足りない魂の光が、束の間、世界の主役になり、世界を光で埋め尽くしてしまう…。
部屋が暗くなっていくのだけれど、しかし、にもかかわらず、光が命をひめやかに萌し始め、床の間の掛け軸や襖の模様を浮かび上がらせる。この不思議な矛盾の中に、何か神秘の萌芽を感じとっていたように、今にして思う。
夏近い頃の蛍の乱舞、そして冬の日の窓外の雪。そのどちらもが、今の自分にはあまりに遠い。
けれど、もしかしたら遠すぎて手が届かない世界になってしまったからこそ、懐かしく切ないのかもしれない。
[本稿は、コラムエッセイ「蛍の光 窓の雪 そして富山の雪」(02/03/06)から、富山での雪を想ってのくだりを抜粋したものです。冒頭の画像は、拙稿「蛍の光 窓の雪 そして富山の雪」より]
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