昼行燈48「真冬の明け初めの小さな旅」
正確な年限などは覚えていないけれど、子供の頃、雪明りの外を歩いて回るのが好きで、よく未明の朝などにこっそり家を抜け出したものだった。
その頃はまだ雪がタップリ降っていた。平野(田圃)の片隅に位置する我が家だったけれど、ともすると一階の窓からは降り積もる雪に視界が遮られて何も見えなかったりする。
降る雪だけではなかった。
屋根から落ちる雪、雪降ろしで堆積した雪などが積み重なって、しかも、建物に面する雪の山は凍っていて、粗目(ざらめ)のような、それでいてツルツルに磨きたてられたような、形容の難しい様相を呈していた。
不思議なのは、視界が完全に塞がれているにも関わらず、夜になり部屋の明かりが消されると、外がボンヤリとだけれど、明るく輝いているように見えることだ。分厚い雪の堆積を透かして外部の光が漏れ込む だけど、真夜中だったり明け方だったりするのだから、外は暗いはずなのだ。
なのに妙に明るい。雪が白いから、なんてのは子供にも納得できる説明ではなかった。雪の欠片の中に光が閉じ込められている。昼間とか、家の中が明るい時は、そうした真綿で包まれたような雪の光は大人しくしている。
だけど、一旦、夜ともなり家々の明かりが疎らになり、やがてポツンポツンと凍えるように灯る電柱の蒼白な光しかないようになると、雪の中の蛍は命を燃やし始める。
とっくに玄関の鍵は閉められている。両親も姉達も寝入っている。自分は眠れなかったわけではなく、早々と寝入っていた筈なのだけど、何故かはしゃぐような気持ちの昂ぶりがあって、起きるはずのない時間に目覚めてしまう。
障子越しに蒼白い光が部屋の中に漏れ込んでいることに気付く。最初は暗闇だったのが、次第に薄明に変わって行く。まるで光の洪水だ。
光の洪水。だけど、決して騒々しいものではない。むしろ静か過ぎるほどである。
外の世界に漲っていた光が、窓のほんの僅かの隙間を通して足音を忍ばせて流れ込んできたのだ。そして部屋の中が青い光で溢れかえっているのだ。
とてもじゃないけれど、眠ってなどいられなかった。ムックリと起き上がって、アノラックなどで身支度を整え、長靴を履いて、ついでにスキー板をも手にして、玄関の鍵を息を殺して静かに開ける。誰も気がつきませんように。
外に出ると、世界は雪の白と空の紺碧との二色の世界。印象の中では空は晴れ上がっていた。きっと、そんな時だから尚のこと、外の世界への憧れ、遠い世界への郷愁の念が強まったのだろう。
北陸の空は、冬は常にといっていいくらい雲が重く垂れ込めている。どんよりとした陰鬱な空。浜辺などに立つと、波も猛々しくて、荒涼の感をひしひしと覚えてしまう。平野部にあっても、そんな北の空が感じられて、思わず人恋しくなってしまう。
でも、はるかな世界への誘いは魅惑に満ちている。
そうだ、その時は、北陸の冬にはめったに恵まれない星の瞬く空だったのだ。何かそんな空が自分を待っているような予感があって、それで不意に目覚めてしまったのかもしれない。
満天の星。悲しいかな、月が照っていたかどうか、まるで覚えていない。冬ならではの無数の星たちの煌きばかりが印象に残っている。そしてそれで十分な僥倖なのだ。
田舎の家の周りは田圃や畑が広がっていた。それが今ではマンションや工場や駐車場となってしまって、ほんの僅か残った田圃が肩身の狭い思いをしているだけ。
我が家にしても猫の額ほどの田圃さえなくなってしまった…、そんな日が来るなど、夢にも思わなかった。
前の晩に降ったのだろうか、一面が新雪の原になっている。銀世界という言葉が決してただの絵空事の表現ではないことを実感する。
子供だった自分には茫漠すぎるほどの世界が見渡す限り広がっていた。スキー板を履いて、表面が凍り始めている雪面を歩く、滑る、走ってもみる。かすかに畦道らしき起伏があるだけの、眩しいほどに白く輝く世界。夜空が地上世界の強烈な光のシャワーに圧倒されてしまうのではと思えるほどだ。
冬の空は、何処までも青い闇が深い。星の瞬きが闇の凄さのゆえに目どころか心の中をも射抜くほど強烈に感じられる。淋しい!
だけど、まるで我が故郷を捨て去ったかのように、我が家を背にして遠くへ遠くへと滑っていく。
音のない世界。音が生まれても、雪の中に吸い込まれていく。耳が痛いほどの沈黙の世界。そんな中、スキー板が凍て付く雪面を削る音だけが、響いている。生きる証しは、そのガリガリという音だけのようにさえ、錯覚されてしまったり。
だから、走ることを止めることはできないのだ。
この世界に明かりの灯る家は、ほんの数えるほど。ホントはもっとあるのかもしれないが、雪に埋もれて外には洩れてこないのだ。
それでも、走っているうちに橙色の灯りを遠くに見つけることがある。
あれが目的地だ! なんとなくそんな気になってしまう。
当てどなく走っていたのが、そこに筋道が出来たような気がする。はるかに遠いあの弱々しげな蝋燭の焔に会いに行くのだ。蛍の光にも似た命のささやかな慄きに触れに行くのだ。
そのために生きているような、そんな気さえしてくる。
でも、所詮は臆病で引っ込み思案の自分だった。
スキーの板の描く心細げなシュプールは、円を描いて、思わず知らずの内に我が家へと向っている。
空が白みかけている。
もう、帰らないといけない。誰にも気付かれないうちに家に入って、蒲団の中に潜り込む。
そうそう、鍵を閉め忘れちゃダメだぞ。
そうして、朝になりお袋に起こされるまでの残り少ない眠りの中で、勇気がなくて実際には行けなかった、はるかな彼方へ、それとも限りなく透明な青い空へと旅する夢を貪るのだ。
[旧稿「真冬の明け初めの小さな旅」より]
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