2023/12/31
2023/12/27
昼行燈50「刀葉林の夢」
「刀葉林の夢」
ガキの頃とて、誰かに見せられた絵図の印象は鮮明であり、強烈だったようである。どんな昔話や童話よりも。曼荼羅画の説明などは右の耳から左へ抜け去ってしまっていたはずだが。
小学校に上がる前の一時期、夜毎、地獄の世界を彷徨っていた。曼荼羅画に垣間見た世界は自分がまさに今、日々体験している世界そのものじゃないか…。
2023/12/18
昼行燈49「雪蛍の舞った頃」
「雪蛍の舞った頃」
窓外の雪を見ていると、何か胸が締め付けられるような、自分がここにいるべきじゃなくて、何処か他にもっと自分がいるべき場所があり、そこで誰かが俺を呼んでいる…といったような、郷愁とも違う、不思議な感傷に囚われるものである。
私が未だ郷里である富山で住み暮らしていた頃は、まだ雪も毎年、たっぷり降ったものだった。だから、3月になっても、さすがに降雪の日は少ないとしても、根雪は深く固く大地を覆っていた。
昼行燈48「真冬の明け初めの小さな旅」
正確な年限などは覚えていないけれど、子供の頃、雪明りの外を歩いて回るのが好きで、よく未明の朝などにこっそり家を抜け出したものだった。
その頃はまだ雪がタップリ降っていた。平野(田圃)の片隅に位置する我が家だったけれど、ともすると一階の窓からは降り積もる雪に視界が遮られて何も見えなかったりする。
降る雪だけではなかった。
2023/12/12
昼行燈(番外3「葬送のこと」)
「葬送のこと」
(前略)宇宙から見たら、海だろうが空だろうが土だろうが、大した違いなどないということも事実に思える。それだったら、どうせ遺骸は火葬されるのだし、遺骨が空葬されようがどうしようが関係ないということでもあるのかもしれない。
それとも、遺骨などではなく、DNAを遺しておこうか…デジタルで。
2023/12/08
2023/12/07
2023/12/04
2023/12/03
昼行燈43「お地蔵さんは黙っている」
なんだかもう、全てがグジャグジャになった気がする。
泥濘(ぬかるみ)の続く道を何処までも歩いている。
ずぼっと深みに嵌まってはよろめく。
いつからこんな道なき道に迷い込んだのか、さっぱり分からない。
こんなはずじゃなかった。
でも、どんなふうであったのか、あったなら少しは満足するか分からない。
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