昼行燈13
メデューサ。眺めるものを石に変えてしまう、髪が数知れない蛇の蠢く美神。
鑑賞などといった、やわな言葉が美術や絵画の世界に使われるようになったのは、いつのことなのか。きっと、絵画作品が美術館に収められ一般大衆に、これみよがしに展覧させるようになってからではないか。見てもいい、しかし、触れては成らない。触れていいのは選ばれた者のみ。
選ばれたものは、美女(美男)と一夜を共にする特権を得たものは、鑑賞に止まるはずがない。
美を手中にした(かのような幻想に囚われた)者は、美を眺める。眺める、観るとは、触ること。絡むこと。一体にならんとすること。我が意志のもとに睥睨しさること。美に奉仕すること。美の、せめてその肌に、いやもっと生々しく皮膚に触れること。撫でること、嘗めること、弄ること、弄ぶこと、弄ばれること、その一切なのだ。
やがて、眺める特権を享受したものは、見ることは死を意味することを知る。観るとは眼差しで触れること、観るとは、肉体で、皮膚で触れ合うこと、観るとは、一体になることの不可能性の自覚。絶望という名の無力感という悦楽の園に迷い込むことと思い知る。
観るを見る、触る、いじる、思う、想像する、思惟する(本書は思弁の書なのだから、思弁も含めたっていい)、疑念の渦に飲み込まれること、その一切なのだとして、見ることは、アリ地獄のような、砂地獄のような境を彷徨うことを示す。
砂地獄では、絶えず砂の微粒子と接している。接することを望まなくても、微粒子は、それとも美粒子我が身に、そう、耳の穴に、鼻の穴に、口の中に、目の中に、臍の穴に、局部の穴に、やがては、皮膚という皮膚の毛根や汗腺にまで浸入してくる。浸透する。
美の海に窒息してしまうのだ。
窒息による絶命をほんの束の間でも先延ばしするには、どうするか。そう、中には性懲りもなく皮膚の底に潜り込もうとする奴がいる。ドアの向こうに何かが隠れているに違いない。皮膚を引き剥がしたなら、腹を引き裂いたなら、裂いた腹の中に手を突っ込んだなら、腸(はらわた)の捩れた肺腑に塗れたなら、そこに得も言えぬ至悦の園があるかのように、ドアをどこまでも開きつづける。決して終わることのない不毛な営為。
何ゆえ、決して終わることのない不毛な営為なのか。なぜなら、ドアを開けた其処に目にするのは、鏡張りの部屋なのだ。何故、鏡張りなのか。壁ではないのか。
それは、どんなに見ることを欲し、得ることに執心し、美と一体になる恍惚感を渇望しても、最後の最後に現れるのは、われわれの行く手を遮るものがあるからだ。何が遮るのか。言うまでもなく、自分である。観る事(上記したような意味合いで)に執したとしても、結局は、自分という人間の精神それとも肉体のちっぽけさという現実を決して逃れ得ないことに気づかされてしまう。
焦がれる思いで眺め触り一体化を計っても、そこには自分が居る。自分の顔がある。自分の感性が立ち憚る。観るとは、自分の限界を思い知らされることなのだ。
つまりは、観るとは、鏡を覗き込んでいることに他ならない、そのことに気づかされてしまうのである。
だからこそ、美を見るものは石に成り果てる。魂の喉がカラカラになるほどに美に餓える。やがてオアシスとてない砂漠に倒れ付す。血も心も、情も肉も、涸れ果て、渇き切り、ミイラになり、砂か埃となってしまう。
辛うじて石の像に止まっていられるのは、美への渇望という執念の名残が砂や埃となって風に散じてしまうことをギリギリのところで踏み止まっているからに他ならないのである。
(拙稿「鏡と皮膚…思弁」より。画像は、マタ・ハリ(「ファム・ファタール - Wikipedia」より))
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