昼行燈23「石ころ」
「石ころ」
ボクは体の中の石ころにムカムカしていた。どうやっても、体内の石ころを取り出すことができない。胃の中あるわけじゃないらしいから、吐くこともできない。
時折、首筋の辺りに石ころの奴、移動するらしくって、そうなると、大変。ノドチンコと石ころとで喉が狭まって、息が詰まる。ほとんど、喘ぐように息をする。
まるで、そうだ、コンクリートの道路の片隅から生えてくる雑草。僅かな透き間を見つけて、辛うじて生きている。
ま、やつ等ほど、ボクはタフじゃないんだけど。
石ころはフクラハギに隠れたり、お腹に収まって、大人しくしていることもある。そんな時のボクは機嫌がいいみたい。近所の連中とも気軽に遊んだりもする。
でも、石ころが頭の中とか、最悪、目玉の中に忍び込んだときは、どうしようもなくなる。
ボクは、懸命に石ころをえぐり出そうとする。父さんに教えられた方法で。
といっても、父さんに教えられたのは頭から脳味噌をどうやって取り出すかって方法。石ころのことは、誰にも内緒なのだ。
父さんは、いつだったか、エジプトのミイラは、脳味噌を耳の穴とか鼻の穴から掻き出すんだぞと言っていた。それとも、吸い出すって、言ってたんだっけか。
それも神官みたいな専門のやつ等が、葦で作ったストローのようなものを鼻の穴なんかに突っ込み、チューチューやるんだとか。
そうだ、イチゴのゼリーをお八つに食べている最中に、父さんったら、仕草もそれらしくやってみせてくれたから、ボクは、脳味噌を吸い出す光景を実際に観たような気になってしまった。
それどころか口で味わうゼリーと脳味噌とが重なってしまって、ボクはしばらくイチゴゼリーが食べられなくなったりして。
でも、父さんは、脳味噌は、味噌と言うけれど、刺身のウニに似ているって言っていたっけ。味のことか、外見のことか忘れてしまったけれど。
父さんは、脳味噌は、頭の中の腐りやすい、邪魔なものに過ぎないって言っていた。
<タマシイ>ってものは、心臓にあるんだ。胸の中にチンザしている。骨と皮と心臓が残っていたら、人間は永遠に生きられる…。
でも、ボクは肝心なことを聞き漏らしていた。エジプトでは、そう考えられていたって、ちゃんと言っていたらしいのに、脳味噌って、そんな余計なものだとボクは思い込んでしまった…。
邪魔っけな石ころを取り出すには、まず、脳味噌を吸い出し、頭の中を空っぽにして、それから石ころを取り出したらいい…。で、細長い竹を見つけて、鼻の穴に突っ込もうとしたけれど、一センチも入らないし、それに痛い!
もっと、細いもの。ジュースを飲む時のストローは、細めだけど、どうみても、弱々しい。下手すると中で曲がって喉から口に通じてしまいそう。
やっと見つけたのは、麦わらだった。細いし頑丈そうで、これなら、鼻の穴をすんなり突き抜けて脳味噌に真っ直ぐ到達できそうに思えた。
ことはそんなに簡単じゃなかった。指の関節ほども埋まったところまでは順調だったけど、そのうちに鼻の穴の奥がむず痒くなり、思いっきりクシャミして、それでおじゃんになった。
石ころは、いい気味だとボクを嘲笑うように、脳味噌の中を動き回り、転がりつづけた。
ボクには頭の中がグジャグジャに感じられていた。ブヨブヨしていて、その中を石ころが勝手に動き回っている。脳味噌が、お袋の作ったヌカミソみたいに思えた。
ある日、お袋が漬物を作る光景を目にした。でっかいカメの中を覗き込むと、漬け物石が大根なんかをギュッと押さえつけている。
それを見て、ボクはひらめいた。
ボクの頭はミソだ、漬け物なんだ。
その、タワンタワンした脳味噌には、石ころは小さすぎるのかもしれない。そのうちに、石ころがドンドン大きくなって、揺れてばかりいる脳味噌をドンと押さえつけたなら、頭の中が落ち着いてくるのだろう…。
そのことに気づいたボクは、体の中をうろついて回る石ころの奴が好ましく思われてきた。今は、奴はボクみたいにガキなのだ。だから、ボクの迷惑も顧みず、好き勝手にやっている。でも、落ち着いたら、大人に成ったら、石ころも、漬け物石みたいに立派に成長し、ボヨヨンとしている脳味噌をがっちり雁字搦めにしてくれるんだ。
それでも、やっぱり、喉元を移動している最中は、ボクは苦しくてならないのだった。やっとのことで通り過ぎてくれても、今度は、頭の中ではしゃぎ回り、頭蓋骨を格好の壁みたいにして体当たりを繰り返す。
頭が割れそうなほどに痛い。目玉が腫れ上がって、今にも飛び出しそうだった。
それならそれでいいのだけど、気紛れに方向を変えて、今度は額の辺りに張り付く。
すると、額が今にもひび割れしそうに感じる。割れて、脳味噌が噴き出す。でなかったら、額が粉々に砕け散る。
世界がまるで違う色に見える。原色が際立って見えたり、逆にセピア一色に染まってしまったり。目の前の茶碗も箸も、壁の日めくりのカレンダーまでもが、のた打ち回る。それまでの、ありふれた物体に過ぎなかったのが、嘘のように存在感を増す。墓地の死骸がむっくりと起き上がって、被っていた土を払い去り、今までの恨みつらみを晴らしにボクに襲い掛かってくる。
驚いたことに、そんな時、脳味噌の中の石ころがボクを助けてくれる。目玉とか耳の穴とか鼻の穴の何処かで、その身を挺して通路をガッチリと塞ぎ、外界のやつ等の闖入を防いでくれるのだ。
が、その安堵感もほんの束の間の、ぬか喜びに過ぎなかった。あまりにピッタリと石ころの奴が通路にはまり込んでしまったものだから、ボクは息ができなくなってしまったのだ。
息が出来ない。ボクの体を包む皮が膨れてパンパンになっている。ボクが気付かなかっただけで、体の中身が随分と昔から腐りかけていた。ガスが充満し始めていたのだ。
ただ、鼻の穴や臍の穴、尻の穴からガスが漏れ出ていたから、今まで膨らまなかっただけだったのである。
でも、今は違う。膨張のし放題だった。風船だった。お尻の辺りが熱せられて、無理矢理、熱い空気を詰め込まれている、破裂寸前の気球だった。
あああ、ボクが弾けて散ってしまう。粉々に砕けちゃう。雲散霧消して、消えてしまうー!
視界が霞む一方だった。世界が歪んでいた。真っ暗闇と真昼間とが交互にボクを襲った。目が回りそうだった。
ええい、回るなら回れ。回って、グルグル回る力で何処へでも飛んでいけばいい。
すると、目の前に近所のあの子が見えた。ボクに微笑んでいる? まさか! それとも、ボクのことを嘲笑っている?! 分からない。表情までは見えない。あの子が、そのうちに急激に肥大し始めた。頭も顔も手も足もお腹も、膨らんでいるボクよりも大きくなっていて、ボクを囲もうとでもするみたいだった。
あの子の体がボクに圧し掛かっている。うん? ボクのほうこそが、あの子に接近しているのか。
気が付いたら、何処までがボクの体で、何処からがあの子の体か、区別が付かなくなっていた。
そういえば、昼間、公民館の裏手であの子と相撲したんだっけか。取っ組み合いみたいな相撲で、地べたに二人して倒れこんでも決着の付かない相撲だった。同じ年なのに、ボクより大きな体のあの子の体は力づよいような、柔らかいような、どこか心許ないような、不思議な感触を息苦しい中でボクは感じ取っていた…。
ああ、息が詰まる…。破裂する。石ころめ、通路をどかないか! と思ったら、石ころは不意に移動していった。目玉や鼻の穴や喉の穴、尻の穴から、それまで石ころが戯れたことのない穴へと向かっていったのだ。
それも、瞬間移動だった。あっという間もない移動で、チンコの穴から石ころが飛び出していった。同時に、ボクは、パンッ! と破裂した。
ふと気が付くと、生暖かな水を湛えた可愛い池で水面に向かって石なげしているボクがいた…。
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