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2023/10/24

昼行燈22「耳鳴り」

Jiseki   「耳鳴り

 これは耳鳴りなのか、煩わしい音がこのところずっと鳴ってる。
 音とも云えない。キーンという金属音…それともシューというガスの漏れる音とも呼べない気配のようなもの。

 あと一歩だった。あとほんの少しで手の届くところにそれはあった。それを手にしたくて、せめて目に留めたくて、それさえ無理なら闇の中にその気配を嗅ぎ取りたくて、懸命だった。
 あまりに微かな響きだった。響きというより骨同士が激しく擦れ合う、その削れゆく悲鳴の震顫。

 

 ふと遠い昔、ベッドからの起きがけに生じた症状を思い出した。頭をほんの僅か巡らしたのが切っ掛けで脳味噌が急激な回転をし始めるのだ。グルグルグルグル止めどなく回ってどうしようもなくなる。吐き気やら動悸やらが伴って、ベッドから離れられなくなった。

 どうやって回転を止めたのか分からない。両手で頭を抱えたってどうなるものじゃない。あまりに長くベッドに張り付いてきた結果なのだろうか。

 徹夜続きの日々。窓際どころか瀬戸際の日々。一人責任を背負わされて夜中まで残業していた。朝だって誰よりも早く出勤して頑張っていた。当番の女子社員が一人早めに出勤してきてお茶を淹れてくれる。それが水道の蛇口に前夜から溜まっていた水で出したやたらと臭いお茶だった。後から出勤してくる連中に出すころには、水道の水はそれなりに新鮮になっている。お茶も不味くはなくなっている。
 せめてほんの一時でも蛇口を捻って溜水を吐き出してからの水でお湯を沸かすという発想は湧かないものか。くそ! 毎日毎日臭い茶を飲ませやがって!
 あの頃俺は、友人に請われるまま彼の仕事の手伝いをやっていた。日曜だけのはずだが、やり切れず終日の丑三つ時に起き出して面倒な書類作成を仕上げていた。文字通り寝る間も惜しんで根を詰めていた。たださえ残業続きなのに、なんだってそんな手伝いを引き受けたのか。

 体が悲鳴を上げていた。切羽詰まっていた。ギリギリ押し込められる感覚が常にあった。そんな日々が数年続いた。よくぞ持ったものだ。

 そうだ、あの頃俺は救いを求めていた。真夜中過ぎに帰宅の途に就く際、せめて自由なはずの夜空を見上げようと猫背がちな体を起こしてみるのだった。都会の深更の空にも晴れの日にはビルの隙間から星が垣間見えた。

 星々の煌めきだけが俺の救い、望みだった。何の望みなのか分からないのだが。

 そのうちいつしか星々に微かな音を感じ取っていた。高周波音というのか、金属音なのか、それとももしかして宇宙線の響きなのか。
 海が好きだった。が、当時の生活じゃ、週末に海というのも夢のまた夢だった。怒涛とは云わない、寄せては返す波のおおらかで単調な繰り返しを眺めたかった。

 代わりにはならないが星々の煌めきはどんな宝石の輝きより純粋だった。この世のどんな金持ちだって届かない志向の世界の存在を示していた。

 幾夜も星々を眺めているうちに、そう奇妙というか得体のしれない耳鳴りのような音が響きが感じられだしたのだ。
 それははるか遠い世界からのメッセージに思えた。誰にも聞こえない、俺だけに伝えられる秘密の言葉。

 もしかしたら謎の金属音を追い求め過ぎたのかもしれない。深夜ラジオで聞きかじったシュトックハウゼンのピアノ線より細くて強靭な光の無数の交差の焦点が俺の耳に合ったのか。

 何処だ? 何処から来る? 俺なんか刺し貫いて地底に突き刺さってしまえばいい! なのにダース・ベイダーの光の剣が俺の頭の中で剣の舞を演じやがった。どんな音楽より謎めいていた。蠱惑的で畏怖させられた。誰にも聴くことの叶わない無音の音楽だった。

 深入りし過ぎた。俺には受け止めきれなかった。どんなに首を振っても音の源は見出せなかった。俺は逃げ出した。逃げたかった。だけど、ダムの一穴のように俺の弱みを突いてくるのだった。

 グルグルグルグル何かが巡った。脳味噌が急速回転していた。振り切れそうだ。吐くか。喚くか。泣くか。悲鳴を上げたら救われるか。
 俺は最後の手段に打って出た。そうだベッドから転げ落ちたのだ。そのショックがメニエール病にも似た症状にとどめを刺してくれた。

 だけど、このごろはそんな手も使えなくなってきている。そのうち、八階のベランダから飛び降りないとあの悩ましい金属音から逃れられないような気がする。 

 

(画像は、「耳石による種類同定マニュアル」より)

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