ノートルダムの深淵?
ユゴー作の『ノートル=ダム・ド・パリ(上)』 (岩波文庫)を読み始めて四日目。本作を片手に居眠り……夢で目覚めた……気が付いたら今の危機は夢だったのだと安堵の胸を撫で下ろした:
[夢には長い前段があったが忘れた……何処かの岩場をさ迷っていた?] (02/16 15:08)
俺はある巨大な工場に居た。天井も高く起重機が何台か動いてる。うっかりしてるとアームや車体に押し潰される。作業員の目を気にしつつ右往左往した挙げ句、何とか工場の出口に近そうな隅っこに。その一角だけ少し外光が。
工場は崖っぷちにある。その崖というか岩場というか瀬戸際に立っている。岩場じゃなく岩壁か。苔むして眼前には海。
おかしい。俺はこの辺りから迷い込んだはずなんだ。なのに俺がよじ登ったはずの砂場混じりの岩場がない。俺が立っているのは切り立った岸壁。背には工場ののし掛かるような鉄の扉。後戻りできない。眼下10メートル下は海。海の波が壁にぶつかってる。海面を見下ろすと水深は浅い。テトラポット? コンクリートの足場?
眼下右手に岸壁じゃなく抉れた一角がありそうだ。俺はあの辺りから迷い込んだのだろうか。あちらに行けたらここから脱け出せるのか。望みの光が見えた気がした一瞬体がぐらついた。垂直に切り立つ崖や眼下の海面に魔が差したのか。眩暈か。体は半ば以上既に海側にあった。海面の水深は浅い。落ちれば岩かコンクリートのブロックに直撃するしかない。
と、何故か隣……左手に人影が。知らない人。しかも子供のようだ。俺は咄嗟に、まさに海に倒れ込みそうな寸前、彼の肩に手をやった。
それともしがみつこうとした? 違う、ほんの少し俺の体重を彼の体に預けただけだ。揉んどり打ちそうな、ギリギリのバランスが、僅かな重心の岸壁側への移動で俺は踏み留まることが出来たのだ。
夢はそこで終わった……あるいは続いていた気もするが忘れた。
[睡魔に呑み込まれる直前、この小説のまさにメインの舞台であるノートル=ダム大聖堂(修道院)での、物語の主人公であるカジモドの活躍ぶりが描かれていた。カジモトは荘厳華麗なるノートル=ダム大聖堂の鐘突きを生業としている。僧院内を自在に動き回る。巨大な鐘に掴まったりも。眼下には深淵があるばかり。我輩は、この鐘からの直下の気の遠くなるような眺めに感化され夢に至ったのだろうか。] (02/16 15:51)
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