あの日から始まっていた (37 南天の実に血の雫かと訊ねけり)
← 南天の真っ赤な実は、雪の中では一層、色鮮やかである。一瞬、血の雫に見えたりする。
細切れな睡眠を取る日々が続いている。
眠りが細切れなのは、忙しいから?
そうではあるが、仮にそれほど忙しくなくても、小生の睡眠は苦しげに息継ぎするような、むしろ喘ぐような仮の眠りにすぎない。
寝入る時よりも常に目覚める時のほうが疲れが倍加する睡眠。
起きるには、時に凶暴なほどの意志が必要になる。
何のための起床なのか分からないだけに、ただただ徒労であり、無為でもある。
睡眠障害はどうにもならない。
この日、三度目の仮眠を取ろうとしていた時のことだった。
ベッドに身を横たえ、目を閉じようとしたら、ふと、胸の痛みを伴って、何かの記憶の断片が脳裏を過(よ)ぎった。
あまりに像が鮮やかなので、自分が今、ホントにそこにいると思えてならなかった。
誰かを待っている…、それとも、誰かを追っている…。
あるいは、誰彼に逸れてしまっただけなのかもしれない。
眠ることへの恐怖が、怯えがそんな遠い日の残像を呼び起し、睡魔への無為な抵抗を試みさせているのかもしれない。
ただ、強烈な情念が胸を掻き毟っていた。
会いたい!
会いたい人が居る!
けれど、相手の姿は見えない。
何処かの家の裏手の軒下にポツンと立つ自分。
当てもなく立ち尽くすだけ。
今こそ遭うべき時なのに、時間だけが過ぎていく。
もう、若さはとっくに失われているのに、情が渦を巻き、やがてその勢いの捌け口を見つけたとばかりに、オレの胸の透き間を衝いて噴出する。
けれど、情の念は日の目を見た瞬間、熱さと冷たさの同居した、真冬の朝の吐息へと変貌する。
あの血の吐くような痛みさえ、凍て付いてしまっている。
無駄だと分かっているのに、今更どうなるものでもないのに、オレは表に飛び出した。
降り頻る雪。
何処までも広がる新雪の野。
オレの足あとだけが点々と連なっている。
遥か彼方に光。
あれは灯明なのか。
それともただの幻?
オレへの誘い?
闇の中のオレンジ色の光の罠なのか。
オレは光へと向かっているのか。
それとも、ああ、闇へと沈んでいこうとしているのか。
やっぱりだ。
光は通り過ぎ行く車のライトに過ぎなかった。
オレに残されるのは、雪の飛沫だけ。
分からない。
ベッドで垣間見た鮮烈な記憶の糸は、すっかり色褪せ撓んでしまっている。
蜘蛛の糸のように冷酷な救いの糸。
何もない。
ないってことすら、ない。
あるのは、ただ、白い闇。
…白けた闇に迷い込んでしまうのはいつものこと。
オレは、記憶の糸を手繰るのをやめた。
(10/01/14 作)
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