« あの日から始まっていた (35 葬送のこと) | トップページ | あの日から始まっていた (37 南天の実に血の雫かと訊ねけり) »

2022/01/29

あの日から始まっていた (36 「祈り」を巡って)

Sengen

 [「祈り」を巡って(その3)

 雨上がりの小道を歩くと、何かが私の頭に落ちた。数知れない細かな透明な粒を目にした。それは、近所のブロック塀越しの木の葉を伝って、私の頭に落ちた一滴の水の雫だったのだ。ちょっとした衝撃の波が私の心に走った。
 それは、まずは外で冷たい何かの直撃を受けるという予想外の出来事への驚き。

 

 でも、すぐにそれは私が決して孤立してはいないということの直観へと転化した。
 人は年を取るごとに、意外性への素朴で新鮮な感動を忘れていく。それは、生きることに慣れてしまったことを意味している。遠い日の、己が未だ幼かった頃、柱に頭をぶつけては泣き、敷居の何処か出っ張りに足を引っ掛けては悔しさのような怒りのような感覚に泣きじゃくり、目の前の何か新しいものが初めて手に入らなかったある日、その己が決して特別な存在ではなかったのかを思い知って泣く。

 

 やがて経験の数々は生きることを学ばせる。天上の梁に今更ぶつかったりはしないし、欲しいものが手に入らなくても我慢することを覚える。雨は、傘がなければ着る衣服を濡らすだけの不快なものに思えるだけ。
 そして人とも余計な衝突は避けることを覚える。自分が、心底から良かれと思ったことでも、後で考えてみると、それがいかに独善的で、あるいは狭い料簡からの思い込みに過ぎなかったかを思い知って、身の程を知るのである。

 

 けれど、そうはいっても何か人とのつながりが欲しいから、ほんの僅かの友か、愛する人との狭い世界を大切にするようになる。きっとそこにはつながりがあるに違いないと、人並みの心の交流があるに違いないと思いたいのだ。
 が、やはりいつかは遅かれ早かれ自分が、世界からポツンと取り残されていることを自覚する。私は世界に一人なのである。
 そのことが愛とか趣味とかへ再度、自分を走らせることもある。が、それは己が一人であることを再確認させるに終わるのが常だった。

 

 さて、とはいっても、世界に自分がポツンと放り出されているとしても、それは自分だけがそうであるわけではない。それくらいは、いつかは悟ることができる。
 が、凡人たる自分は、だからといって、少しも自分の気が晴れることがないことを知っている。
 私は世界がもっと単純であればいいと思ったりする。人と人とが分け隔てなく、気さくに話を交わすことができればと思ったりする。それが、もう、とっくに不可能であることを思い知っているにもかかわらず。
 言葉は人と人を結びつける。が、同時に、分断する。誤解を生む。ほんの一言での誤解が、いい間違いが取り返しのつかない結果を齎してしまう。
 私は過去の言葉、過去の営みの錯綜し縺れた網に雁字搦めになってしまっている。さっぱりと断ち切れたなら、どんなに気が楽かと思う。心の何処かのしこりをきれいにそっくりそのまま抉り出せたなら、どんなにすっきりすることかと思う。不可能だとは思いつつ。

 

 いつしか平凡な人生の果てに、すっかり臆病になった自分がいる。いいことも悪いことも出来ない自分。人との諍いを恐れて、出る杭は叩かれるものと知って、頭を引っ込めて生きるのが賢明と、心底から思い込んでいる自分がいる。
 私は今、自分が、外界と全く触れることのなくなったことを自覚している。摩擦のない透明なパイプの中を滑り行くだけの人生であることを自覚している。昨日と今日は日付以外に何も違わない。
 透明なパイプの中からは、昔と同様、外の世界が見える。風景は全く以前と変わらない。
 変わったのは、そこに救いようのない静けさと寂しさがあること、己から人の世界へは無間に遠いと感じる自分がいること、街の風景は、あくまで風景であり、光景であり、背景であるということだ。その一番の背景は自分なのであるけれど。

 

 私はパイプの中で窒息しそうなのである。私が吸い吐く空気は、パイプの中のみを循環する淀んだ空気なのだ。風の息の渦巻く世界との接触は、アクリルの板で遮られている。私は、何処までも縮小再生産する。私には、近いうちに世界の中の極小の点、存在の無に成り果てる予感がある。

 

 街頭で頭に落ちかかった雨の雫は、何かを私に教えようとしていると感じさせた。それは単なる予感に過ぎないのかもしれない。
 あるいは己の中に残る救いへの念が、無理矢理に<予感>と呼び変えさせているのだろうか。
 私の中に祈りの念らしきものがある。が、それは念入りに仔細に検討してみたら、祈りではなく、ただの悲鳴、ただの沈黙の叫び、ただの軋み、ただの擦過音に過ぎなかったのかもしれないと、ようやく分かってきた。
 私には知恵がある。小ざかしい知恵に過ぎないのだが。

 

 それは外界との摩擦を避ける知恵である。外界とは主に人間を指す。
 遠い日に、いつかは人と本当に出会える日が来ると、夢みていたような気がする。気のせいだったのだろうか。

 

 その限局された空間で、私は遠い何処かへ無限の滑らかさを以って駆け抜けていくのである。
 一体、この世に他に何があるだろう。


[冒頭の画像は、拙稿「大岩山日石寺……千厳渓へ」(2019/05/11)より 01/09/19 原作]

|

« あの日から始まっていた (35 葬送のこと) | トップページ | あの日から始まっていた (37 南天の実に血の雫かと訊ねけり) »

心と体」カテゴリの記事

妄想的エッセイ」カテゴリの記事

旧稿を温めます」カテゴリの記事

祈りのエッセイ」カテゴリの記事

あの日から始まっていた」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« あの日から始まっていた (35 葬送のこと) | トップページ | あの日から始まっていた (37 南天の実に血の雫かと訊ねけり) »