あの日から始まっていた (25 伽藍堂)
動き回る分には表情があるかのようだが、じっと舞台の上の人を見つめると、生き物とはまるで懸け離れた、人形という名の物体の蠢くだけの人形劇。
周りを見渡しても、観客は<ボク>一人。否、<ボク>はただの観客であり、お客さんであり、通りすがりであり、やがて時が来れば小屋から吐き出される、一人の逸れモノ。みんなは芝居が終わった後は、楽屋裏に集まって、ワイワイガヤガヤしているというのに。
現実感のなさ、存在感のなさ、感覚の摩耗、心の不毛を肉体的存在感で補おうと試みる日々。肉体の存在の確認とは、<ボク>にとっては、伽藍堂(がらんどう)な心を埋める徒労なる営みに過ぎなかった。
小学校時代、夏休みの或る日の真昼間、近くの校庭に行ってみても、人っ子一人いない。眩しすぎる陽光が校庭に溢れ返り、微動だにしないブランコ、鉄棒、半分だけ姿を見せる古タイヤの列、歓声の響くはずのプール、ただっ広い校庭を前に、とてつもない空虚感を覚えた…。
何が故に篭る自分になったのかは、既に書いたのでここでは略すが、そんな引き篭もる自分を<外>の世界に引っ張り上げてくれたものは、一体、何だったろう。孤独が怖かったから? そんなことはなかった。誰とも言葉を交わさない世界には、それはそれで甘い甘い濃密なるパラダイスがあって、しかも、その楽園は広く豊かで色とりどりの果樹に満ちており、何もその自己完結した世界から抜け出さなければならない理由など、見当たらなかったのである。
篭る自分。閉鎖はされていても、閉じ込められているようであっても、とにもかくにも完結している。やがては密封された世界で窒息して果てるのだとしても、うまくいけば安楽死もありえる。
安逸なる世界、孤独に時に吐き気しそうになっても、それでも、外の世界よりは甘美で濃密なる伽藍堂。外の世界には、ギャランドゥ(?)がいるのかもしれないけれど、でも、他人の不在な、何処まで行っても他者と、生々しい命の滾りや輝きと出会うことのない、閉塞された世界の完璧さは死ぬほどに蠱惑的なのである。
[旧稿「冬籠(ふゆごもり)」(2005/01/12)より。冒頭の画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より ]
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