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2021/10/22

あの日から始まっていた (23 思わぬデート?)

思わぬデート?

 あれは高校三年の秋だったか、思わぬことが続けて起きた。
 起きたというのは他人からしたら大袈裟かもしれない。でも、自分には事件だった。
 放課後、二年だった自分はさっさと帰るはずだった。そうでなくたって高校時代も一貫して帰宅部だった。授業が終われば学校には用がない。
 なのに、なぜかその日は、クラスメイトの女子高生が話しかけてきた。いや、どのように近づいてきたのか、今では全く覚えていない。
 覚えているのは、気が付くと、教室の窓際に二人並んで窓の外を眺めていた場面。時折、彼女の顔を覗き見、ほとんどは眼下の校庭や銀杏並木を眺めていた。憎からず思っていた彼女だが、明るく眩く、とてもガールフレンドとはなりえない相手だった。人気者だし、自分のつけ入る余地はありえない…。というより、誰にしろ、個人的に仲良しになるとは思ったことはなかった。


 彼女が自分に男女という意味で行為を抱いていたとは感じたことはなかったし、2人並んで親しく喋っているその間ですら、好きとか何とかじゃない、訳が分からないうちにとにかく次第に日の落ちていくキャンパスを眺めつつ、今の時を喜んでいた。
 驚くのは、そうした機会がまたあったことだ。今度も同級生だが、先ほどの女の子とは別の子。彼女も明るく活発で、副級長だったかするほどの人望もある可愛い子。目の真ん丸なのが印象的。
 やはり、気が付くと、教室の窓際に並び立ち、窓外の光景を眺めていた。恋人同士じゃないし、相手をまっすぐ見つめるなんてできない。折々彼女のつぶらな目を真正面に見て、真っすぐ過ぎて眩しくなり、慌てて目を逸らす…そんな繰り返しだった。
 放課後だとはいえ、教室に二人一時間はお喋りしていた。何を喋るともない。こうした二度のありえない機会に誰も邪魔に入らなかったのが不思議だ。
 彼女らは、自分に個人的に付き合いたくて近づいたとは感じなかった。何かが切っ掛けて、たまたまそういった状況になっただけ。二人とも名前を覚えている。

 
 女の子と二人きり、教室の隅とはいえ、一時間も過ごすなど自分にはありえなかった。それまではなかったし、その後もない。
 不思議な体験。その子たちとは、もう二度と、そんな機会を持ったことはない。彼女らが自分と恋仲になるなど全く想定できない。あれはあれだけのこと…。
 
 あれから何十年かして、気が付いた。何故に彼女らが一時とはいえ自分に近付いたか。それは学校の体育祭でのマラソンだ。
 自分は体育祭では、マラソン競技に参加した。一年の時は参加してないが、校外を走る、そのことに魅力を感じていた。よし、来年は自分もマラソンに参加して校外を走るんだ。
 が、自分が参加すると決まってから、走るコースが変わった。何と、校庭をグルグル走る! 白いラインを引かれた楕円のコースをグルグル、モルモットみたいに。がっかり。だったら参加などしなかったのに。

 自分は、自分の顔が醜いから、校外を走らせるのは忍びないと、急遽コースが変更されたのだと思った。証拠はないが、あまりに突然のコース変更はそれ以外に理由は考えられなかった。かといって、抗議する根拠もない。とにかく走る。走るのが好きなんだ。ずっと帰宅部で、運動部には加入したことは(僅か半年のサッカー部時代を除けば)まるでない。放課後、自分で運動することはないし、遊ぶ相手もない。

 五千メートルとはいえ、それなりの距離だ。しかも、運動体験は皆無。体育祭の始まる一か月前、夏場くらいから夕方、自宅の周辺を走り始めた。走るのが好きだといいつつ、好きなだけで、実質はまるで伴わない。いくら何でもぶっつけ本番というわけにはいかない。校外を走るという夢は潰えたが、校庭を走る、みんなの前で走る、恥を晒すわけにいかない。

 実は、マラソンを選んだわけがあった。そこには男の意地があった。(それは別の機会に書く。)走って、意地を示すんだ…。

 自宅の周辺だけじゃなく、時には放課後、体育会の連中が練習に励んでいるグラウンドの隅っこでも走った。

 体育祭当日のことはほとんど覚えていない。青龍やら白虎やら四つのグループに分けての戦いだった。そのどのグループだったかも覚えていない。気持ちはマラソン競技。夏休み初めからの一か月余りのマラソンで運動部の連中が大半(あるいはすべて?)の中で、帰宅部の自分が走る。

 とにかく、走り切る。それだけ。が、走り出すと、案外と走れる。何十人参加したのか忘れたが、気が付くと、上位にいる。一桁の位置。自分は友達にラスト一周になったら教えてくれと頼んでいた。が、友達は教えてくれなかった。そろそろラストの2周か1周のはず。最後はラストスパートするつもりになっていた。それだけ余裕があった。が合図がない。なのに、気が付くと、ラスト1周の合図(鐘)が出ていた。残り百メートルもない。自分は慌ててラストスパートした。が、遅すぎた。順位を五位にあげるのがやっとだった。
 なんだよー、合図してくれって頼んだのにー。
 それとも、実際は合図してくれたのだが、自分が思ったより苦しくて、あるいは会場の喧騒が邪魔して、気づけなかったのか。
 とにかく、自分は懸命に走った。必死と云っていいほどに。

 

 後日、体育祭を見学に来ていたお袋が自分の姿を観て涙が止まらなかったと話していた。そんな感動をお袋に与えるなんて夢にも思わなかった。
 そして、そう、感動を覚えたのはお袋だけじゃなかったのだ。壊れた顔の自分が来賓などの多数の観客の前を堂々(?)走り切り、それなりの上位に食い込んだのだ。少なくとも体育会系以外の中ではトップだったはず。
 そう、その感動がきっと彼女らを突き動かしたのだ。体育祭の数日後の彼女らの予想外の行動に出させたのだ。

 

                   (2021/10/22 作)

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