あの日から始まっていた (12 匂いを嗅ぐ)
「匂いを嗅ぐ」
…そんな自分の肉体的事情があるからこそ、匂いにひとかたならぬ関心があるのかもしれない。口呼吸で匂いを嗅ぐわけにもいかず、一体、健常者として鼻呼吸をされている方というのは、つまり、世の大概の方というのは、どんな正常な感覚生活を送っておられるのか、気になってならないのだが、殊更に訊くわけにも行かないし、また、敢えて尋ねるようなことでもないのだろう。
健常であるということは、それが当たり前のこととしてその健常さを生きているわけで、その健常さを自覚する必要も何もない。
目が見える人に、見えることに自覚的であれ、というと教訓的、説教がましい感があるように、匂いに敏感かどうかは別にして常識程度に(どの程度が常識的なのか、さっぱり分からないものの)鼻呼吸を日常的に行っていて、恐らくは必要な程度には匂いを嗅ぐことが出来ている人は、自覚的たる必要など毛頭ないのだろう。
言うまでもなく、触覚は、触れる感覚であり、嗅覚は直接身体に触れない遠隔の物体や状態、多くは食べ物かどうか、敵かどうか、安全かどうかの識別に関わる感覚機能である。当然ながら視覚ともまた異なる。視覚は目的とする物体や場所と当方との間に障害物があれば、それでもう役に立たなくなる。目をそちらに向けなければ、もう、意味を成さない機能でもある。
匂いは空中などに飛散する、あるいはその辺りに痕跡が残っているなら、それらを探知することで意味を成す。いろんな意味で嗅覚というのは感覚機能として可能性がある。人の心情にも微妙に影響していると想いたくなるではないか!
[(「「匂い」のこと…原始への渇望」より抜粋)拙稿参照:「冬薔薇(ふゆさうび)」「忘れ得ぬ薔薇の香り」「今年も沈丁花が咲きました」「アブダルハミード著『月』」]
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