あの日から始まっていた (7 雪の朝の冒険)
それが、もし、そもそも、その手を差し出す前提としての、心の身体が欠如していたとしたら。差し出そうとすると、その力が反作用として働き、自らの身体(心)を砂地獄に埋め沈めていく。砂の海に溺れることを恐怖して、ただ悲鳴の代わりに手を足を悪足掻きさせてみたところが、その足掻きがまた、我が身をさらに深い砂の海の底深くへ引っ張り込まさせる結果になる。
私とは、私が古ぼけた障子紙であることの自覚。私とは、裏返った袋。私とは、本音の吐き出され失われた胃の腑。私とは、存在の欠如。私とは、映る何者もない鏡。私とは、情のない悲しみ。私とは、波間に顔を出すことのないビニール袋。
そして、やがて、あるのは、のっぺらぼうのお面、球体の内側に張られた鏡、透明な闇、際限なく見通せる海、気の遠くなる無音、分け隔てのある孤立、終わりのない落下、流れ落ちるばかりの滝、プヨプヨな空間、風雨に晒された壁紙、古ぼけたガラスの傷、声にならない悲鳴。
言葉になるはずのない表現の試み。
(拙稿:「W.ブランケンブルク著『自明性の喪失』」より)
ボクには、手術して以来、夜はなくなった。睡眠ではなく、真っ赤な闇との徹夜の闘いに成り果てていたのだ。起きるとは、熱っぽい闇から、白けた日常へ追いやられる、それだけのこと。
誰にも気付かれず、こっそり家を出た。退院のお祝いだったか、スキー板をプレゼントされていた。雪は止んでいた。たっぷりと雪が積もっている。何処かへ行かなくっちゃ! 田圃も畑も、畦道も、用水路だって、雪にどっぷり埋もれて、そう、純白の部厚い布団を被っているよう。世界が真綿でくるまれている。ボクも包んでくれるに違いない!
雪原は何処までも、果てしなく続いている。曇天の空と雪の野との境は曖昧に、そう、真っ白な地平線が生まれたようだ。富山とは思えないようなパウダースノー。スキー板がやんわりめり込む。雪けむりを掻き立て滑りたかったけど、下手くそなボクにそんな真似ができるはずもない。
(拙稿:「ジェネシス 6 雪の朝の冒険」より)
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