あの日から始まっていた (11 赤いシーラカンス)
「赤いシーラカンス」
不思議の海を泳いでいた。粘るような、後ろ髪を引かれるような海中にもう馴染み切っていた。
髪を掴まれて、何処へでも流れていったって構わないはずだ。
なのに、妙な意地っ張りな心が前へ、前へ進もうとする。
緑藻の長い腕が、ビロードの肌で絡みついてくる。紅藻が乳糜を沁み出して呑んでいきなさいよって、誘っている。
うっかり呑んでしまっていいんだろうか。思い切って、乳首にしがみついて、ちゅるちゅるしちゃっていいんだろうか。
ああ、でも、あいつのことがある。つい誘惑に負けて口に銜えたばっかりに、奴は唇が裂け、喉までが裂けてしまった。咽頭弁がズタズタだったっけ。
あれは乳糜なんかじゃなかった。胃酸が肉壁を溶かし突き破って溢れ出していたんだ。
渇いている。肉体が欲している。しがみつきたいし、押し倒したいし、突っ込みたいし、全てを吐き出してしまいたいのだ。
海綿体が憤懣に今にも破裂しそうだ。御影石を傷つけたくてならない。
ああ、海水なんてもんじゃない、膵液だ。肉も骨も融かそうとする。赤い魚はすり減った鱗を撒き散らしながら、流れ去っていく。
唾液が丸まって泡になって浮き上がろうとしている。溜息が煮え滾る泡となって波間を飛び去って行く。
不意に赤い腰巻き姿の女が妖艶な笑みを浮かべて待っているのが見えた。飛び込めばいいのよ。待っている、待ち草臥れているんだから、もう!
髄液が亀裂の底へ流れ込んでいく。食べたばかりの肉が、肉汁が染み出してくる。喉へ流れていかないのか。下鼻甲介にまで胃液が溢れ出す。
鼻の穴の中で、赤と黒の闇がまぐわっている。もんどりうって、喉の中…肺にまで落ちて行った。
[原文は、「赤いシーラカンス」より。冒頭の画は、小林たかゆき作「題名不詳」 (画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より)]
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