マスクをするということ
マスクをするということ。恐らく我輩には大方の方とは違う意味を持つだろう。生まれもっての障害と度重なる手術でやや歪な鼻や口。マスクで覆ってしまえばどんなに楽になることか。歪な部分を隠してしまいたい。そう願わずにいられようか……願わなかった日があっただろうか。 マスクをして口許を隠す。まともであるかのような幻想が現出する。他人の好奇の目、哀れむ目を気にせずに町中を闊歩できる。何処かの初めての店や場所を死を覚悟するほどの蛮勇を鼓舞してやっと訪れる……なんてことがなくなるのだろうから。
が、自分は断固晒してきた。晒し者になり見せ物になることに甘んじてきた。マスクには一切頼らずに生きてきた。何故ならマスクに一旦頼ったならもう二度と手放せなくなるからだ。マスクをすることは、家の中に引き込もることを意味する。壁か柱の蔭か誰かの背後に隠れることだ。顔を晒す決死の覚悟(嗤わば嗤え 決死なんて大袈裟と言うなら好きにしろ。正直な気持ちなのだよ)を萎えさせることだ。
一旦、勇気が萎えたら二度と元には戻らないだろう。もうそんな勇気は、気力は残っていない。どんなに晒し者になり続けることが辛くても、マスクなしの生活はやめられない。やめたら後戻り、後退りするしかない。たった一歩の後退であろうと、それは全面降伏を意味する、際限のない後退の始まりなのだ。
無論、現下の情勢を踏まえ、外出する際はマスク着用である。何より目立つことの嫌いな我輩なのだ、今は外出や買い物などの際はマスクを手放さない。これは自分のためじゃなく、相手や周囲への思い遣りでなくてなんだというのか。但し、情勢が許すようになれば、マスクは使わなくなる。多くの方のような理由ではなく、必要もないのにマスクに頼れば、まさにこれからなしで暮らせなくなる、外へ出られなくなる、人と逢えなくなるからだ。
だから外出の際のマスク着用は一時的なものと自覚している。束の間の凪擬きの時。マスクを着けないでの外出がいつでも再開できるよう、心は臨戦態勢を崩さない(自分にとって外出とは戦闘そのものだ。但し、被弾と防戦一方の負け戦を運命付けられている)。
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