謎の追突事故
← スティーヴン・キング【著】『書くことについて』(田村 義進【訳】 小学館文庫) 「われわれ三文文士の多くもまた、及ばずながら言葉に意を注ぎ、物語を紙の上に紡ぎだす技と術に心を砕いている。本書のなかで、私はいかにして『書くことについて』の技と術に通じるようになったか、いま何を知っているのか、どうやって知ったのかを、できるだけ簡潔に語ろうと思っている。テーマは私の本業であり、言葉である」(本文より)
スティーブン・キングは、1999年、死に瀕する事故に遭った。脇見運転のヴァンに撥ねられ、14フィートほど宙を舞い、岩の少し手前に落ちたのだ。ふと、学生時代に体験した事故を思い出した。
バイクの大型免許を取り、2万円で中古のオートバイをゲット。夏休み。海へ! 見通しの利く片側一車線の鋪装道。前を個人タクシーが走っている。車間距離も十分。真っ昼間で、対向車も人影もない。こちらの車線は用水路沿い。タクシーが曲がるような脇道もない。
我輩は状況に油断したのだろうか、突然、タクシーが右へ曲がった。バイクは通常、センターライン寄りに走る。我輩もそう。タクシー(車)は、車線の真ん中辺り。そのタクシーが右折したのだから、要は、完全に道を塞がれた状態になったわけだ。我輩の125ccのオートバイは、タクシーの後部に接触し、我輩は、宙を舞い、側溝に頭から突っ込んだ。幸か不幸か、バイクも我輩も軽傷だった。ヘルメットのお陰で頭も怪我しなかった。ただし、事故後、何年もむち打ち症で苦しんだ。
タクシーは、なぜ、思いもよらない場所で右折したのか。実は、個人タクシーの車庫、つまり、自宅だったのだ。我輩がもっと注意深くあるべきだったのだろう。タクシーの運転手は、家に引っ込んだままだった。自分も訳が分からない、茫然自失状態だった。タクシーの運転手が知らん顔だったとか、事故現場が個人タクシーの自宅だったとは、後で少し冷静になって分かったことだ。事故の際、車を含め誰一人、通らなかった(と思う)。タクシーの運転手が知らん顔だったと書いたが、我輩が起き上がったのを見て、知らん顔を決め込んだような気もする。
吾輩の側の追突事故だから、という言い分もあったのか。
驚いたことに(あくまであとから振り返ってみてのことだが)、我輩は、オートバイに跨がり、夏の海を求めて荒浜へ向かった。この辺りの我輩の思考回路が自分でも理解できない、今でも。さらに驚くべきは、その夏(以前、ここにも書いたけど)、仙台から、東京や箱根、三島を経て、郷里の富山へ帰省。当然、ふたたび、仙台へ舞い戻るという、往復2000キロの帰省ツーリングを敢行していた。オートバイはやはり、一部破損していて、帰省ツーリングに出発する前から、カシャカシャと耳障りな異音を終始発していた。
事故のことは(バイクの不調も)、親たちには一切、言わなかった(そもそも、どうでもいいこと以外はほとんど喋らない)。ちなみに、オートバイは、ロングツーリングに耐えかねてか、仙台に戻って間もなく、一万円で売り飛ばした。余儀なく、自転車生活が始まるのだが、それはまた別の話だ。
[「事故つながり ? !」(2019/02/14)より]
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