柔らかな時間
← サルバドール・ダリ「時間のプロフィール」(1984) (画像は、「サルバドール・ダリ - Wikipedia」より)
駅のロータリーの(太陽光発電を動力源とするらしい)時計。今日の狂いは7分ほど。一昨日は10分以上だったことを思えば、まあまあか。数年来、ウォッチしてきたが、一貫して数時間は違っている。最初の頃は、思わず自分の腕時計が狂ってるのかと、慌ててあちこちの時計を見比べたりしたが、もうすっかり慣れっこで、今日もいつも通り三時間ほど違ってるな、いつになったら直すんだろうと思うだけ。それが、である。年初に驚くべき事態が発生した。
そう、朝見たら何と、時刻が合っているではないか! 思わず目を凝らしたものだった。数年来の念願が叶った。ホッと安堵の胸を撫で下ろした。同時に、毎朝の楽しみが無くなったようで、一抹の寂しさの念がなかったとは言えない。数ヵ月は時計を見るのも忘れていた。合っている時計なんて何の関心の対象にもならない。が、である。連休も開けた頃、久しぶりに時計を見たら、また、狂っている! 何だか旧友に会ったような、不思議な安堵感を覚えた。建て前ではあったが、誰か駅の管理者はいないのか、などと呟いてみたり。
→ サルバドール・ダリ 《記憶の固執》 (画像は、「《記憶の固執》サルバドール・ダリ|MUSEY[ミュージー]」より)
すると、今度は我が呟きを誰か見たのか、数日後に見たら、何と合っている。さすがに、我が思いは天に通じたということなのだろうか。今度ばかりは時計がほんの数日で狂うようなことも、よもやあるまい……。甘かった。一週間ほどして眺めてみたら、しっかり10分以上も狂っている。まあ、今日見たら7分ほどだし、狂いは縮小しているし、ちょっとはましか、と思って何気なく時計をみやって見たら、何てことだ、この呟きを書き込む短時間の間に狂いが20分以上になっているではないか! ミステリーだ。狂いが縮小したり拡大したり。
どうやら、午前中、一時間ほど止まり、また動き出したようだ。今は、一時間二十分ほどの狂い。日本一、気紛れな時計ってことで、評判になる……わけないね!
飴のようにしなだれる時計といったダリの有名な絵があるが、こちらは時刻の表示が気紛れに行きつ戻りつしている。
(「自分の汚れを洗い流すために書いている」より)
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