夢のない夢の話
この頃、妙な夢を繰り返し見る。
細切れに寝ているからだろう、日に何度も夢で目覚める。翌日が仕事じゃなく、休みの日だったりすると、リクライニングチェアに体を預けるようにして寝るからだろうか。
大概は、目覚めた瞬間に忘れてしまう。思い出そうと努めることもあるが、あまりに断片的な末期の映像なので、脈絡も分からず、思い返す意味がないと感じる。
一方、ふとした瞬間に忘れ去ったはずの夢の一場面が蘇ってきてしまい、あまりに気になるので、リクライニングに戻って体を預け、安静にして思い出した夢の断片の前後を思い出そうとする。思い出さないと気になってならないのだ。
消え去ってしまった、夢の欠けらたちは自分に何を訴えかけているのだろう。
多くの夢は、テーマ(があるとして)が共通しているように感じる。
大雑把に、敢えて曖昧に、大づかみで言うと、人間関係であり、特に自分に欠けている人間的な温もり(への希求の念)なのだと言える。
両親との不幸とまではいわないが、不器用な関係も頻繁に夢のテーマとして出てくる。でも、これは最近に限ったことじゃない。
どうも、ここ一年ほどは、女性絡みだと思う。
女性への満たされぬ思い…恋愛とは到底、呼べないような貧相な内容の女性関係の夢。
曖昧模糊とした現実。掴みどころのない自分というやつ。
自分の周りに女性など、一人だっていない…はずなのに、自分としては誰かしら自分に関心を寄せる女性が居る…と思いたいのだろうと思ったりする。
そうでないと自分が惨めすぎるから……。
その実、自分が勇気がなくて、現実を見つめる勇気もなく、踏ん切りがつかず、閉じた心の中に自分を埋没させ、目の前に仮に女性がいても、見えない……ふりを装う。
ふりを装うというと、意志的過ぎる表現で、実のところ、誰もいないのに、自分が不甲斐ないから目の前に誰かいても、一歩を踏み出せない、手を差し出せないと思う…思いたいのだ。
それもこれも、貧相すぎる現実が味気ないから、惨めすぎるからなのだろう、と自分に言い聞かせる決然とした意志もない。
何一つ、定かなことの分からないままに、これまでのように、自分は殻の中に閉じこもったままに、ゆっくり確実に朽ち果てていく。
そういう人生をあまりに強く予感させる夢だからこそ、そんな自分の行く末が透けて見えすぎる夢だからこそ、忘れたい…思い出さない…あるいは思い出して自らが己を叱咤しないと真っ白な闇に埋没していくと、最後の最後、ギリギリの問い詰めをしている、これでいいのかと自分の中の危機感いっぱいの何かが自分に迫っている…のかもしれない。
何もわからないのだ。
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