赤裸の心
彼は何を見ているのだろう。暗転した此の世、それとも黄泉の灯に浮かび上がる亡霊の叫びなのか。
彼の目はレントゲンのように、この世の赤裸なる魂の揺らぎを曝け出してしまう。
← 小林孝至作「作品No.2014_1400」 (画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より) 今にも崩れそうな詩情…。小生の好きな木版画家・清宮質文を想わせる瞬間がある。でも、彼はそんな詩情なる安寧の境に身をゆだねようという気はさらさらないようだ。(清宮質文については、拙稿「「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !」を参照のこと。)
人は、形も命も心も仮初の時を彷徨っている、ほんの束の間の錯覚に過ぎない、そんな戯言を漏らす輩を打ち倒してしまうのだ。
崩れた脳の末期の祈り。延髄の抗い軋む沈黙の叫び。
身は隠れることを知らず、血汐は沸騰し、血肉は火箭(かせん)の的となっている。
触れ合うことへの渇望は、剥がれ剥かれた皮膚を投げ棄てることを強制する。
血は血と混じり合い、髪は毟られる快感に溺れている。
あれは…。あなたへの渇望だったのだ。生への祈りだったのだよ。
→ 小林孝至作「作品No.2014_137」 (画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より)
でも今は、嫉妬と羨望の念に焼き焦がれている。鼻を突く異臭だけが実感。純粋への渇望は、今や破裂寸前の脳髄に圧倒されるばかり。焦れる想いは、髑髏の中でトレッドミルを走るマウスのように堂々巡りする。
硬膜が絡まり縮こまって、想いは今にも窒息しそうだ。心は風前の灯。
ああ、でも、ボクは走り続けるのだよ。
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