砂人形
一歩、踏み出してみる。ふわふわしている。浮いている? 粘り気のある空気。空中を漂っている…違う。溺れるように、沈み込んでいるのだ。
何処まで沈んでも際限がない。もう、終わりにしたくても、どうにもできない。
やたらと広い、草原を歩いている。緑の木立が延々と続いていて、その中を小道がゆるやかに左へ、左へと曲がっていく。道の先は見えない。
遠い昔、そう、思い出せないほど遠い昔、誰かと一緒に歩いたような気がする。
崖っぷちの砂利道を、何処までも何処までも。
今は? 今は、独りぼっちだ。一人っきりで、あてどなく歩いている。立ち止まって、木立の緑陰に憩いたいのに、足が勝手に動いてしまう。ここでない何処かへと、ひたすら移動していく。
ここでなければいいのか。ここでなかったら、立ち止まることは許されるのか。
原っぱの葉っぱたちが風に揺れている。吹き過ぎる風。
暑くもなく冷たくもなく、かといって、爽やかというわけでもなく、ただ、能面のような風が素知らぬ顔をして吹き過ぎていく。
風に吹かれて歩きたい。でも、この空間は凍て付いたように、微動だにしない。凝り固まっている。パサパサに乾いた血糊の成れの果て。かつては生きていたのだ。
生きていたのか、本当に。
あの日、吐き出し過ぎたのではないか、血反吐を。
知らぬ間に洗面器に吐き出したという命の証し。腸さえも、食み出してしまったのだろうか。
緑の世界の只中にいる、はずなのに、命の欠片さえ、見当たらない。目に眩しい黄緑色の草原の輝きは、氷の壁面の向こう側。
ああ、やっぱり、透明なパイプの中に閉じ込められていたのだ。体中にチューブが張り巡らされている。人工呼吸器が断末魔のような、それでいて音にならない悲鳴を上げている。
真空の時空をも震撼とさせている。
こんなに明るい闇の世界に潜り込んで、どう迷えばいいのか。誰が迷うものか。
誰もがアクリル板の向こう側で笑っている、哭いている、怒っている、嘆いている、歓喜している、退屈を持て余している。
気が付いたら、私は、砂を弄っていた。昔、ある少女が砂で人形を作ろうと夢中だったのを思い出したのだ。
足元に、否、そこらじゅうに飛散している砂を、埃を、粉塵を、懸命に掻き集めている。
両手で抱え込むように集めて山にして、そうして人の形を、せめて命の形をなぞろうとしている。
乾いた砂を哭きの涙で練り固めて、そうしてもう一度、甦らそうとしている。
問題は、もしかして、もう一度ってのがウソっぽいということだ。もしかして、お前は、一度も生きたことがなかったのでは、という疑念が蜷局を巻いている。それでも、形を作るしかない。
他に何をすればいいのか、分からないではないか。
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