私はここにいる
プレッシャー。この言葉で人は何を思い浮かべるだろう。
科学や技術の用語として、あるいは『ウルトラマンレオ』に登場する宇宙人の名? それとも精神的な重圧の意味合いでだろうか。
小生の場合は、日常の中で日々感じ受ける精神的な重圧そのものである。
夢の中で、粘るような空間をやっとの思いで前進する、という場面によく遭遇する。
空気だって、風が強ければ風圧として受ける圧力は相当なものになる。
が、夢の中では、どう見ても快晴無風の状態なのである。少なくとも周辺の人たちの様子を眺める限り、歩く姿や表情に懸命さも、まして必死さも見受けられない。
なのに、一人自分だけ、透明は透明で周りの風景はいつに変わらず眺められるのだが、ただ、自分を包む空間だけが水あめのような粘り付く、濃厚な、それこそ固まりかけたゼリーのようになっていて、歩くのも、時には息をするのも苦しい、喘ぐような状態になっているのだ。
空気そのものがプレッシャーになる。
それというのも人の視線のせいなのだ。ほんの一瞬だけ、自分を観るが、すぐに目を背ける。できれば関わりたくない、だけじゃなく、可能ならすれ違うのも避けたい、そんな思いがひしひしと感じられる。
見るのは最初の一瞥だけ。あとは、ずっと目を背け、一刻も早く対面する状況から脱したいという、毛嫌いしている感覚が手に取るようにわかる。感じられる。
スーパーやコンビニのレジで、あるいは町中で、それとも、ただすれ違う瞬間だけであっても、事情は同じだ。
相手は決して私を観ない。私はあくまで客であり、すれ違うべき他人であり、カネを払って買い物してくれる、そして用事が済めば消え去ってくれる、何かの間違いのような存在なのだ。
私はここにいる。他の客のように、微笑んで、そう、愛想笑いでいい、営業の作り笑いでもいい、にこやかに元気に対処してくれればそれでいい。最後には、顔……じゃなくても、目を見て、ありがとうございますの一言を言ってくれればそれでいい。それだけで嬉しくなる。他人と同じ扱いをしてくれたと、欣喜雀躍する!
のだけど、レジの人は他の客のようには決して対処してくれない。一瞬たりともこちらを観ない。目線はずっと下を向いたまま。そっぽを向いたまま、どこかよその方を、あるいは床の方を観て、感情のこもらない「ありがとうございます」を呟く。
そう、それは呟きなのだ。独り言なのだ。客である私には言葉は与えてくれない。
私はここに居るのに、眼差しの欠片も与えてくれない。
それでいて、相手の嫌悪する情が豪雨のように降りかかってくる。拒絶し排除せんとする本能的なまでの、あるいは自己防衛本能のゆえの衝動が逆巻いているのが痛いほど感じられる。
私の日々はそんな逆風との闘い。一瞬たりとも息の抜ける瞬間などない。
こんな私だから、サルトルの「存在と無」が小説のように読めてしまうのだろう。
(本稿は、「プレッシャー」(2014/04/27)からの転記)
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