電信柱のチラシ
ガラスの粉のような雪が曇天の空に煌めいている。
舞い落ちるべきか否か迷っているのだろう。
それとも、凍て付いた涙となって天から地を睥睨しようというのか。
透明な粉塵の粒子は、幽かに残る光を掻き集めては、その滑らかな身体で四方八方へ撒き散らしている。
分厚い雲に覆われた空が僅かにでも薄明を恵まれているのは、天の情けなのかもしれない。
俺は思わず天を仰いで雪の舞うのを眺めた。
光の粒を今こそ見尽くしたいと思ったのだ。
天と地とが目合うその瞬間を逃してなるものか。
だのに、地にある誰も怪訝な顔をして通り過ぎていく。それどころか遠巻きにしている奴らさえいる。
よほど、みんなに今、至上の時が実現しているのだと教えてやろうかと思ったが、あほらしくて止めた。
…奴らのほうこそ、正しいのかもしれないのだし。
紛い物のダイヤモンドの粒粒が俺の目に溢れ出てくる。
悲しいのだろうか。泣きたいのだろうか。
分かり合えないことが淋しい?
俺の目から漏れ出る時に血の色の滲む光の粒子と、天からのメッセージの認められたガラスの粉塵とが混じり合って、天と地の交響の時が始まる。
降り積もった雪に俺の姿は次第に埋もれていく。
掻き消されていく。
これでも抵抗はしたんだよ。だけど、ダメだったんだ。そんな呟きを発してみたが、口の中は血糊がぶくぶく泡立つばかりで、喉も鼻の穴もくすぐったくて、妙に滑稽なのだった。
ああ、またあの人が通り過ぎていく。俺がここにいると気づかないのだろうか。俺が懸命に訴えている声が聞こえないのだろうか。目の前の人に発しているはずが、まるでネット空間に書き散らされた2ちゃんねるの数知れない呟きに没していく。
宵闇などに紛れる必要もなく俺は地に没していく。骨と肉とが粉々に崩れ去っていく。風に舞う塵や埃の仲間になっていく。何時だったかの吐息に包まれていく。ちょっと見には、粉雪と見分けがつかなくなっていく。
せめて天に召されたならば、それはそれで恰好がつくというものを。
暮れなずむ時の優しさを信じられたあの頃が懐かしい。
俺の心も体も吹き過ぎる風に撹拌され、命の欠片が無数の点々となって天に舞い上がり、散らばって夜空の星となって輝く…。それが死だと夢見たあの頃が限りなく遠い。
今の俺は…路上を転がりゆく電信柱のチラシだ。
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