転がらない石
時の始原を垣間見る、そんな夢を貪っていた。
心を尽くし、気を引き締めていると、張り詰めた空気をひしひしと感じた。
無闇に歩き回り、数知れない人々とすれ違った。その一人一人に万感の思いを抱きつつ這い回った。
心はそのたびに引き千切られるよう痛んだ。ホントに傷んでいたのかもしれない。
人に期待し過ぎていたのだ。人に未練があったのだ。それは人の世への甘えだったのかもしれない。
誰もが誰に対しても他人と分かってからは、私と呼ばれていたかつてのそれは石ころとなった。
石ころだと、ようやく気付いたというべきか。
転がりもしないで、ただそこに転がっている石ころ。
邪魔になったら蹴飛ばされ、路傍で束の間、安堵の念を抱いていたら、今度はガキに弾かれて、気が付いたら生け垣の奥の茂みに埋もれていた。日の目を見ることはなくなったけれど、永い永い眠りを約束されたかのようだった。
凝り固まった心。委縮して、ひたすら内側へと向かう心。心がぐるぐる回って捻転して、意識の腸が遠心分離されちゃいそうだ。
だけど、外見は一個の塊。一個の結石。自動販売機の下に転がり込んだ一個のパチンコ玉。やがていつか廃墟となったら、あるいは蜘蛛の奴が気が付いてくれるかもしれない。
そうだ、あの蜘蛛だ。
永く永く閉じ籠っていた日々、唯一の友だった、あの蜘蛛の奴だけは忘れずにいてくれたのだ。
奴は今も、陋屋の天井の梁に居座っているのだろうか。蜘蛛の巣の張ったあの田舎の煤けた湯殿が懐かしくてならない。垢が苔が埃がプラスチックの壁を草臥れ果てた、だけど誰をも和ませる時空へと誘ってくれる。
だけど、始原に至ることはない。否、迷路への罠だったのだ。
とんだ勘違いをしてしまっていたのだ。せいぜい、古びた井戸の底を覗き込むのが関の山。
それなのに諦められないでいる。何を諦められないのかすら分からないまま、ただただ何かに縋っている。
意地なのか、ただの諦めの悪さなのか。
井戸の底には数知れない骸が眠っている。それこそ数えきれない奴らが道を踏み間違えて落ち込んでいった井戸の縁に立っている。
ギリギリの思い。得体の知れない緊張感。胸の震え。心臓の鼓動が痛くてならない。幾重もの瘡蓋を剥がせば、じくじくと膿が染み出るはずなのだ。生きている証拠は今となっては、それだけ。
それでも生きている証しである以上は、膿を舐めてでも生きるしかないじゃないか。
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