ジェーン・エアに刺激されて観た夢?
自転車を駆ってある店(銭湯?)に行った。
自転車置き場に止めようとしたら、自転車の前輪が銭湯の黒っぽい壁面にコツンと当たった。
すると、待ち構えていたかのように、店の小母さんが、
「あんたでしょう。いつもいつも、ぶつけて」などと、頭ごなしに叱ってきた。
私は戸惑っていた。
前にもぶつけたことがあったのかどうか、自分でははっきりしなかったからだ。
なので、詫びたくても詫びようがなかった。
私が素直に謝らないからか、カミさんはますます怒り狂ってしまった。
仕方なく、誤りだしたが、不承不承なのは、歴然としている。
それがまたカミさんの気に食わないらしい。
いつの間にか、周りに人だかりがしている。
しかも、屈強そうな男ばかり。
誰もがカミさんの味方をする。
威嚇する男たち。ついに、私を取り囲んで…。
気が付くと、周りに居る人びとが変わっている。
カミさんも男たちも居なくなって、そこには近所の人か、たまたま通りすがったという人たちが数人。
別に私を叱りつけようとかじゃなく、じっくり話を聞こうじゃないかと、冷静を装っている、ように感じられた。
私は、カミさんの不当を訴えた。自分は別に自転車をわざとぶつけたわけじゃないし、そんなにいつもいつも、ぶつけたわけでもない。
カミさんは私を中に入れたくなくて、あんな言いがかりのようなことを云っていたとしか思えない。
それも、周りにでっかい男たちを従えて…。
周りに男たちが取り囲んだ、という主張は、まわりの人たちにも動揺を与えたようだ。
さすがにどうかと思ったのだろうか。
私は、それをいいことに、今度は自分のほうがヒートアップしてきた。
日ごろの憤懣が爆発し始めていた。
自分の恰好が綺麗じゃないから、あの人は私を拒むんだ。
私がこうだから、みんな拒否するんだ。
私はもう、感情を抑えられなくなっていた。
不覚にも涙さえ溢れ出した。
外見が悪いから、ダメなのか…。
私がこうだから、みんな冷たいのか…。
あまりにひどいじゃないか…。
懸命の訴えが最高潮に達しようという頃、目が覚めた。
涙が止まらなくなっていた。
(転寝する直前、シャーロット・ブロンテ著の『ジェーン・エア』の冒頭シーンを読んで、40年以上昔、読んで、不当な仕打ちを受ける主人公に感情移入した熱い記憶がよみがえっていた、その影響が刺激というかきっかけになっての夢に思える。凄い文学作品は、感情を喚起する力があるのだ。「40年ぶりに「ジェーン・エア」へ!」参照。)
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