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2012/11/26

四面体の呪縛

 ある雨の日だった。
 霙(みぞれ)になっても不思議じゃない、冷たい雨。
 傘を持つ手が悴(かじか)む。
 傘をたたく雨の音は、まるで心を穿(うが)つようだ。

 いくら晩秋で雨天だとはいえ、夕暮れ時には間があるというのに、辺りは薄暗い。
 知らない町を歩いている。誰かを訪ねるために。
 目印となる郵便ポストを見逃してしまったのかもしれない。
 このままだと、人里を離れてしまいそうだ。
 戻るべきか、それとも、もう少し歩いて、様子を見てみるか。

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 すると、塀越しに何やらでっかい樹木が垣間見えた。
 何の木なのか、黒っぽい影からは見定めることができない。
 塀の向こう側へ回ってみた。
 立派だったはずの黒い板の塀は、見るも無残に朽ち果てている。
 屋敷の跡なのだろうか、柱や壁の残骸が草茫々の更地に転がっている。
 もしかしたら見上げるような大きな木も、屋敷のシンボルだったのかもしれない。
 
 農家だったのか、土間らしき一角が見受けられた。
 コンクリートの床面が薄闇の中、白々しく広がっている。
 雑草にすっかり覆われた跡地の中、そこだけは頑固に逆らっている。
 何に対して逆らっているのか。
 朽ち果てることに? 疲弊することに?

 とっくに罅割れて、ところどころから草が、木の頭が顔を覗かせていてもいいはずなのに、何を意地を張ることがあるというのか。
 あの土間で…本当に土間なのか…家族の熱い営みがあった…のだろうか。
 人の気配、人の匂い、踏み固められられた思い出の成れの果て。
 
 なのに、土間は雑草を毛嫌いしている。
 命を断固、拒否している。
 浸潤する命の追っ手を遮ろうと、悪足掻きを続けている。
 大地を、命を忌避しようとでもいうように。

 夢の宴。
 宴のあと、祭りのあと、篝火のくすぶり。
 
 不意に小さな黒い影が土間を横切った。
 猫?
 それとも、死にきれない命?
 
 吐き気を催すような孤独。
 吐いて、吐いて、肺腑がもんどりうって、そうしてようやく埋められるやもしれない、蒼白の心。
 視界を過(よぎ)ったのは、予感、それとも怯える心だったのかもしれない。

 呼び出したのは、いったい誰だったのだろう。
 道を誤った以上は、相手の正体も永遠に分からないに違いない。
 そして、行方を失って、あてどなく彷徨って、そうしてくたばるに違いない。
 自業自得なのだ。
 三つ子の魂は百まで。
 亀裂から生じた、歪(ゆが)んだ魂も百まで…命果てたあとまでも、歪みの筋を辿りつづけるに違いない。
 
 黒い木の根元に立った。樹影が雨雲と宵闇とに紛れ、足元さえ、覚束ない。
 頽(くずお)れていく体と心。
 黒い塊の中に蕩けていきたいと思った。
 それですべてが終わる…はずなのだ。
 
 が、不意に固い感覚が足裏から伝わった。
 土間…らしき白けた場に立っているのだった。
 空っぽな時空。
 蚤もダニも、綿埃も、肺胞を埋める微細な浮遊塵までもが濾し取られた、無味無臭の四次元空間。
 まるで誰も訪れない病室のようだ。

 気が付くと、土間は次第に折り畳まれていくようだった。
 お土産をしっかり包む風呂敷のように。

 自然を嫌悪し呪詛する、純白の時空になりきろうとしている…そう直感した。
 孤独さえもが禁じられた、遊びのない四面体の呪縛の中で、息することさえ忘れて、茫漠の夢に駆られ続けるのに違いない、そう直感したのだ。

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