死に損なっている何か
だからだろうか、つい、天に救いを…じゃなく、友を…でもなく、まあ、連れ添う何者かを求めてしまう。
といって、月影が自分などに付き合ってくれるわけじゃない。
地上世界の何者をも平等に、均等に、つまりは何をも区別せず、相手にもせず、ただ光を投げかけるだけ。
その光だって、太陽の光を受け売りしているだけなのだ、なんて思ってしまう自分の野暮ったさ。
天にさえ思い入れが叶わないとは、科学も余計なことをしてくれたものだ、なんて的外れな感想を抱いてみたり。
月から、あるいは天から眺めおろしたならば、真夜中の闇夜を潜りつつある地上世界の物象の数々など、取るに足らない、有り触れたモノどもの羅列、それとも眠りこけた命たちの無為な足掻きに過ぎないのだろうか。
地にあれば、全てが、森羅万象が千変万化する物象の戯れ諍い合う遊園地、それとも数知れぬ商品の陳列されたデパートの在庫。
名を与えられたモノ、無名のモノ、形に成らないモノ、得体の知れないモノに目移りして止まない昼間の世界。
それらも、闇の世界にあっては、掴みどころのない、自他の区別も定かでないモノどもの蠢きですらない。
月光も、春の朧で憂鬱な風に蕩けてしまって、街灯の灯りにも叶わない。
真っ暗闇なら月影に一瞬は目覚める思いを抱かされても、それも束の間の夢、軒の灯りや街灯の水銀灯に影が薄れる。
月影をひたすらに追うなんて、実際にはできっこない話。
ヘッドライトに負け、街灯に負け、信号の明滅に負け、懐中電灯に負け、春の霞に負け、いつの間にやら月影が消え去っていたことにすら気付かれない始末。
昔の人のようには、月影に心底から震撼し、愛でるなんてできないのだ。
それは、夢の中に心の闇を探し出すことの無意味さ、無為さにも似ている。
夢という神話、無意識という幻想も、不毛な空回りを意味するだけ。
心理学の用語と論理の水晶宮がおぞましいほどに肥大化し、破裂し、崩れ去り、粉微塵となり、ガラス片と粉塵とが心の闇をも朧に化かしてしまう。
生のものなど遥かに遠い。
現実などというのは幻想、夢の欠片、腐ることさえない肉片。
乾き切った雑巾を絞るように、ミイラのような心を叱咤する。
喝を入れてもダメなら、踏みつけにしてみる。
虫けらを踏み潰しても、涙の一滴も滲みだしてこない。
しかし、それでも、何かへの希求の念が已まないのは何故だろう。
死に損なっている何か。
性懲りもないのは分かっている。
諦めが悪い?
…でも、一体、何を諦めないのだろう?
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