白い影
その日、どこかの山の峠道を歩いていた。
深い雪に埋もれた山間の里。
それとも、僅か数軒の集落からさえ離れた一角に、ひっそりと佇む廃屋のような家。
雪に今にも押し潰されそうな家。
そんな家に何の用があったのだろう。
雪が小止みなく降り続いていた。
あの頃は、車も滅多に走らず、轍とて残っていない。
週末だったからか、人の足跡らしき痕跡すら見いだせない。
でも、その家に行かなければならなかった。
雪は天からの手紙。
でも、その紙面は、眩しいほどに白い。
あの人の、来ないで、という文面ほどに白けている。
自分の在り処さえ、誰にも知られずに掻き消えてしまうに違いない、そんな気にさせてしまう雪。
猪谷駅に降り立ってから、一体、どれほどの時間、山道を歩いたことだろう。
その家にいつかたどり着けるのだろうか。
そもそも、その家が何処にあるか、当時、分かっていたのだったか。
待ち合わせの場所は、駅だったのだ。
そこから、その家に二人で向かうはずだった。
…だから、何処へ向かって歩けばいいのか、知る由もなかった。
ただ闇雲に会いたいから、山のほうへ、山の深みのほうへ歩き出してしまった。
小さな湖の向こう側という、いつだったかの話の中で聞きかじった、小さな手がかりだけを頼りに。
古びてくすんでしまった、もとは朱色の木の橋を渡れば、その先に分かれ道があって…。
雪に降り込められて橋の色など分かるはずもない。
その橋にさえ、たどり着けない。
気がつかないうちに通り過ぎた?
それとも、初めから歩く方角が見当違いだった?
深い雪に、橋が分からなかった?
やがて、でも、路が二股に分かれる場所に行き逢った。
細くて一見すると路とは思えぬほうを、という。
鬱蒼と生い茂った数知れない樹木の路。
木立が雪の重みに撓んで、道なき道をさえほとんど塞いでいる。
雪に埋もれる覚悟で歩いていかなければならない。
どうすべきか。
戻る?
立ち往生してしまった。
もう、どうにでもなれという気持ちだった。
あの人の母の里の家というのも、勝手に作り上げたイメージに過ぎなかった。
いつだったかの冗談に、冬は湖面を渡らないと、家に行けないの、なんて言っていたのは、ホントはマジな話だったのでは?
駅に居なかった、ということは当てが外れたということではないか。
今更、どうしようというのか。
あの人は、来ないでと書いていたじゃないか。
あの日、振り向かなかったのは、何故だったのか。
雪の原を分け入る覚悟。
誰か待つ人が居てこその覚悟。
でも、きっと誰も待ってはいない。
ただ迷って、立ち竦んでいたのだった。
すると、杉の木の高い木立から雪がどっと落ちてきた。
思わず身を竦め、頭を抱え、目を閉じた。
滝のように落ちてきた雪に埋もれてしまう!と思った瞬間、何か白い影が脇に蠢いた、そんな気がした。
雪が落ちる直前に蠢いたのだったろうか。
兎? 犬? それとも、雪を被った熊?
その白い影は、正体を確かめる暇も与えず、雪の原に消えていった。
いや、雪の礫に押し潰されて、消えたかどうかすら定かではなかった。
もしや、あの白い影は、あの人では?
(12/01/04 作)
[本文中の画像はそれぞれ、「雪明りに魅せられた頃」や「一本の木を友にして帰郷せし」参照。]
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