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2012/01/16

白い影

 わけもなく、遠い日の光景が目に浮かんでくる。
 でも、それは景色の断片、いや欠片ですらなく、古びた板戸の透き間から漏れ込もうとする陽光の一閃だ。
 その日、何かがあったに違いない。

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 だから、忘れたはずの記憶が蘇ろうとしているのだろう。
 脳みその奥の、赤潮に覆われた死の海のヘドロ。

 忘れたどころか、とっくに死滅して久しいはずなのに、なぜ、今頃になって炭酸ガスの泡のように、ブクブクと噴出そうとするのか。

 その日、どこかの山の峠道を歩いていた。
 深い雪に埋もれた山間の里。
 それとも、僅か数軒の集落からさえ離れた一角に、ひっそりと佇む廃屋のような家。
 雪に今にも押し潰されそうな家。
 そんな家に何の用があったのだろう。

 雪が小止みなく降り続いていた。
 あの頃は、車も滅多に走らず、轍とて残っていない。
 週末だったからか、人の足跡らしき痕跡すら見いだせない。
 でも、その家に行かなければならなかった。

 雪は天からの手紙。
 でも、その紙面は、眩しいほどに白い。
 あの人の、来ないで、という文面ほどに白けている。

 自分の在り処さえ、誰にも知られずに掻き消えてしまうに違いない、そんな気にさせてしまう雪。
 猪谷駅に降り立ってから、一体、どれほどの時間、山道を歩いたことだろう。

 その家にいつかたどり着けるのだろうか。
 そもそも、その家が何処にあるか、当時、分かっていたのだったか。
 待ち合わせの場所は、駅だったのだ。
 そこから、その家に二人で向かうはずだった。
 …だから、何処へ向かって歩けばいいのか、知る由もなかった。

 ただ闇雲に会いたいから、山のほうへ、山の深みのほうへ歩き出してしまった。
 小さな湖の向こう側という、いつだったかの話の中で聞きかじった、小さな手がかりだけを頼りに。
 古びてくすんでしまった、もとは朱色の木の橋を渡れば、その先に分かれ道があって…。
 雪に降り込められて橋の色など分かるはずもない。
 その橋にさえ、たどり着けない。

 気がつかないうちに通り過ぎた?
 それとも、初めから歩く方角が見当違いだった?
 深い雪に、橋が分からなかった?
 
 やがて、でも、路が二股に分かれる場所に行き逢った。
 細くて一見すると路とは思えぬほうを、という。
 鬱蒼と生い茂った数知れない樹木の路。
 木立が雪の重みに撓んで、道なき道をさえほとんど塞いでいる。
 雪に埋もれる覚悟で歩いていかなければならない。

 どうすべきか。
 戻る?
 立ち往生してしまった。
 もう、どうにでもなれという気持ちだった。
 あの人の母の里の家というのも、勝手に作り上げたイメージに過ぎなかった。
 いつだったかの冗談に、冬は湖面を渡らないと、家に行けないの、なんて言っていたのは、ホントはマジな話だったのでは?

 駅に居なかった、ということは当てが外れたということではないか。
 今更、どうしようというのか。
 あの人は、来ないでと書いていたじゃないか。
 あの日、振り向かなかったのは、何故だったのか。

 雪の原を分け入る覚悟。
 誰か待つ人が居てこその覚悟。
 でも、きっと誰も待ってはいない。 
 ただ迷って、立ち竦んでいたのだった。

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 すると、杉の木の高い木立から雪がどっと落ちてきた。
 思わず身を竦め、頭を抱え、目を閉じた。
 滝のように落ちてきた雪に埋もれてしまう!と思った瞬間、何か白い影が脇に蠢いた、そんな気がした。

 雪が落ちる直前に蠢いたのだったろうか。
 兎? 犬? それとも、雪を被った熊?
 
 その白い影は、正体を確かめる暇も与えず、雪の原に消えていった。
 いや、雪の礫に押し潰されて、消えたかどうかすら定かではなかった。

 もしや、あの白い影は、あの人では?
 
                              (12/01/04 作)

[本文中の画像はそれぞれ、「雪明りに魅せられた頃」や「一本の木を友にして帰郷せし」参照。]

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