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2012/01/04

あの月影は夢か幻か

 猛烈な寒波が襲来中である。明日にはなんとか峠を越しそうだが、明朝乃至は明日の夜までは地域によってはまだ相当程度、新規の積雪がありそうだという。
 今朝未明、雪の中で新聞配達の仕事をした。
 昨年来、降り頻る雪の中での作業を繰り返してきたので、ある程度は馴れたつもりでいた。

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 前夜のうちには庭などの雪掻きをしておいてあるので、夜半過ぎ、家(の庭)を車で出る際は、車の屋根やウインドーなどに新たに積もった雪を専用のデッキブラシで払い落とす、あるいは水で凍りつき始めている雪を溶かす、などの作業をする程度で済む。
 実際、師走の半ばからの降雪の際は、それで十分だった。
 しかし、今朝未明の作業は、これまでの経験を吹き飛ばす、自分にとっては痛烈な体験となった。
 
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 前夜の九時過ぎに寝入ったときには、車にはうっすら雪が被っている程度だったのが、夜半過ぎに起きて、恐る恐る窓を開けて車のほうを眺めたら、目を疑うような光景があった。
 車が雪に埋もれている!
 無論、車だけではなく、庭も、前夜までの数回の雪掻き作業の甲斐もなく、数十センチの新雪に埋もれているのだ。
 納屋や家の屋根も雪下ろしの黄色信号が灯るほどの積雪。
 近隣の家々も雪で視界が遮られて屋根が辛うじて見えるだけで、百メートルほど離れた場所に立つマンションだけが雪明りの中、目立っているだけ。

 雪明り。
 磨りガラスや、カーテン越しにも、外が明るいのが分かる。
 光の粒子が、ガラスやカーテン生地など呆気なく透過するのか、真暗なはずの家の中さえ、うっすら朧ろに照っているようでもある。
 薄暗い家の中からカーテンの透き間越しに外を眺めると、雪景色の見事さに一瞬、感嘆させられる。
 が、それはほんの一瞬のこと。
 心の中には戦慄が走っている。
 武者震いなのか、ちょっと身心が震えているようでもある。
 正直、こんな雪の中へ飛び出していくのかと、怖くなっているのだ。
 臆していると言っても過言ではないかもしれない。
 臆病な奴と笑うなら笑え、である。

 それでも、やるっきゃないという精神で玄関の戸を開ける。
 覚悟はしているつもりでも、昨夜寝入る前には、(掃き寄せた庭の両隅の雪山はともかく)庭も車の屋根も数センチの積雪だったのが、目の前には今や数十センチの新雪に埋め尽くされているとなると、心穏やかではない。
 専用のデッキブラシや水を使って、車の屋根やウインドーを雪から解放する。
 それだけではない。
 車の足回りの雪を除雪する。
 それだけに留まらない。
 玄関前から家の庭の出口まで除雪作業しないといけない。
 あまりに深くて、車が前進するどころか、駐車している場所からさえ動き出せない恐れが多分にある。
 そんな準備作業に二十分を要したろうか。
 やっと車をそろそろ走らせる。

 雪は、激しく降ったり、時折、止むのかなと思わせるほどの小雪になったり、その勢いが目まぐるしく変化する。
 道路は、融雪(消雪)装置のある区間は、車道に関しては、飛ばしたり、急激な挙動をさせることを避けるなら、まずまずスムーズに走れる。
 ところが、融雪装置のある場所(道路)は、全線というわけではないし、同じ道路でも途中からなかったりする。
 その代わり、消雪装置のない道路は、ブルドーザーなどの除雪車が除雪作業を行なってくれていて、幹線道路に限っては、新雪を踏むことなく、走ることができる。

 新聞配達の営業所へ。
 営業所では店長が除雪作業していた。
 あらら、てことは、新聞の配送が遅れているということなのか。
 悪い予感が的中した。
 雪の影響で、印刷所からの新聞の配送が数十分、遅れているというのだ(そういうファックスが入っていた)。
 車中で配送を待つ。
 地方紙と違って、印刷する場所が遠いので、雪など悪天候に見舞われると、しばしば遅配となる。
 こちらは手を拱いて待つしかない。
 店長は、今の間にと、雪掻きしているというわけである。

 とんでもない遅配とはならず、三十分ほど待つと、配送の車がやってきた。
 店長も含め従業員総出でトラックから新聞を降ろし、店内(営業所内)へ。
 小生も手伝う。
 新聞に折り込みなどを挟む作業はベテランに任せる。
 アルバイトの人は、そうした作業を手伝う必要はないのだが、少しでも早く配達に向かいたいから、率先して手伝うバイトの方も居る。
 しかも、土曜日というのは、日曜日(休日)の前の日なので、チラシが多い。
 店長らは目の色を変えて折込広告類を新聞に挟んでいる。
 あるいは、株式新聞や小学生新聞、農業新聞、英字新聞、業界紙などを各地区ごとに分類し、区分けしていく。
 揃ったところから、車に新聞を積み込み、配送に向かう。
 中には、こんな雪の中なのに、バイクで配送する人も居る。
 自転車でゆっくり慎重に、ではなく、圧雪、新雪の路をバイクで、なんて信じられない。

 ようやく車への新聞の積み込みも終えて、担当する地区へと車を走らせる。

 ラジオは必須。
 が、土曜日は、いつもの番組を聴けない。
 なので、折々、好きな香西かおりのCDなど車内に流す。
 ヒット曲の数々もいいが、意外性があって且つ、気に入ったのは、カバー曲(奥村チヨが歌ってヒットさせた)の 「恋の奴隷」(なかにし礼作詞/鈴木邦彦作曲)が実にいい!

 さて、先を急ぐ、こういう時に限って、信号に引っ掛かる。
 信号待ちの時間が惜しい、恨めしい。
 たださえ、遅配で遅れたのに、その上、信号で待たされるなんて、真っ平ではないか。
 焦る気持ちを抑えるのに懸命だったりする。

 土曜日の朝だし、一般家庭の朝は、遅いわけで、そんなに焦らなくてもいいようなものだが、コンビニが問題なのである。
 コンビニへは、朝早くから新聞を買い求める客が居るわけで、一秒でも早く、届けたいし、届けないと叱られたりするのだ。
 しかも、小生の受け持つ地区は、配達のルートの最初に二件、半ばに二件、終わりごろに四件と、散らばっていて、最後の四件がどうしても、遅くなる。
 他社の新聞はとっくに配達されているのに、小生の場合は、ルート上、どうしても最後になり、他社に比べ時間的に圧倒的に負けてしまうわけである。
 その上、上記したように、新聞の遅配があったりするから、尚更、遅れるわけだ。
 小生の責任ではないのだが、叱られたり文句を言われたりするのは、配達する小生で、我輩が謝らないといけないのだ。

 もう、開き直っていくしかない。
 できるだけのことはやっているのだし。

 雪は容赦なく降り続いている。
 五時過ぎからは風も出て来た。
 除雪の車が頑張ってくれているが、裏通りの細い道まで除雪車が作業してくれるわけではない。
 裏通りで、案の定の窮地に陥った。
 そう、想像が付くだろうが、雪道で立ち往生してしまったのである。
 新雪が数十センチも積もっていると、いくらふわふわした雪でも、車の勢いで突っ走っても、次第に雪は押されて雪の壁になって車に立ちはだかるようになる。
 一旦、雪中に車(のタイヤ)が嵌まると、もう、タイヤが空回りするばかりで、エンジンのパワーも駆動力もなす術もない。
 力技は諦めて、車を降り、荷台に積んでおいたスコップ(シャベル)を持ち出し、車の下や両側や、特に車の前部に圧雪となって固まった雪の山をせっせと除雪するわけである。
 そんな雪道での立ち往生ばかりではなく、違うトラブルもあった。
 ある住宅街の道(路地)に車を進ませた。
 除雪車が既に来てくれていたのか、除雪が済んでいて、路面はうっすら圧雪があるばかりである。
 急なハンドル操作や急ブレーキをしないよう、そこそこのスピードで車を走らせた。
 角の先が明るい。
 何かの証明?
 違った。除雪車のライトだった。
 なんと、路地の途中で、除雪作業中のブルドーザーに行き逢ったのである。
 雪ではなく、ブルドーザーに行く手を阻まれてしまった。
 ブルドーザーの先を見通すと、深い雪。
 無理して車を突っこむと、立ち往生は必定。
 しばし、考えて、車を降りて、雪の中、走って家に向かうことにした。
 五十センチほどの新雪の路を(原を)急ぎ足で、というのは、なかなかしんどい。
 一軒の家への配達だけのために、数十メートルどころか、往復で百メートルだって雪道(道なき道)を走る。というより、這うように進む。
 新雪の中を進む際には、松の廊下を礼装の長い裃(かみしも)を着て歩くように、摺り足風に進む。
 長靴の中に雪が入らないよう、新雪の中に何があるか分からないし、踏み締め踏み締め、では危ないのだ。

 さて、そんな中、不思議な瞬間というか、光景を目にした。
 月影を見たのだ。
 夜空の一角が妙に明るいなと見遣ってみたら、雲が切れ、月影が見えるではないか。
 目を疑った。
 雪もチラホラ、舞うようにゆっくり降っているだけ。
 雪は止むのか…。

 違った。ほんの数分もしないうちに、雪がまた激しく降りだした。
 しかも、今度は、風まで出てきたではないか。
 風雪。さらに、地吹雪までも。

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 配達もそろそろ終わりに近づく頃、空が闇夜からやや明るみを帯び始めてくる。
 作業開始の時間自体、遅配で遅れたし、雪との格闘で、配達が遅延し、一時間は普段より遅れている。
 朝が遅いはずの冬に、明るみ始める空を見たのは久しぶりである。
 配達作業が終わったのは、六時半。
 苦しい中でも、一軒一軒を間違えないよう、配り忘れのないよう慎重に作業した。
 いろんな種類の新聞も含め、遺漏なく務めを終えることが出来た。
 それだけが嬉しい。

 作業が終わって、営業所に戻っても、誰もいない。
 みんなバラバラに仕事を終えて帰っていくのだ。
 苦しい作業を終えても、ねぎらうひとは誰も居ないのだ。
 遣り通すのだという責任感、そしてやるべきことをやりきった、そういう達成感とだけが僅かに自分の支えになっている。
 帰宅して、ベッドに入って、目を閉じるその一瞬の満足感だけが自分への褒美のように感じられる、それだけである。
 それで十分なのかもしれない。


                              (10/02/06 作

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