回り道
言葉が無力だという感覚は強烈なものがある。音楽を聴いて感動して、どうしてそれが言葉に置き換えられようか。雨上がりの軒先から一滴、また一滴と垂れ落ちる雨の雫をどう表現できよう。女性の肌の輝きを言葉で表現できるはずがあろうか。せいぜい、叙述の妙で読み手の想像力(妄想力)を刺激する技を磨くまでのことだ。
その絶望的な無力感から全ては始まる。そう、何を書きたいとか、書きたいテーマがあるとかではないのだ。書く当てもなく空白の画面に向うほどの快楽があるだろうか。マッサラな、雪の日の未明の原という空間に自分だけが足跡を付ける、この愉悦!
まして、自分の中の書かねば、書きたいという衝動は、空白の空間が怖いから、言葉で埋め尽くすというのとも違う。耳なし芳一のように、万が一にも言葉で塗り込め忘れたアリの一穴のような洩れがあってはならないというのとは、ちょっと違うのである。
ある不可思議極まりない感覚。世界がそこにある。自分のすぐ目の前にある。だけど触れることも見ることも叶わない。あるいは叶っているのかもしれないが、すぐに求めたモノとは違う! と感じてしまう。その不可思議さというのは、女性の魔力や自然の風物の魔的なほどの懐かしさと癒しでさえも及ばない、絶望的な官能の海。真っ赤な海。ほとんど漆黒の闇ほどに深紅の闇の海。
何が不思議といって、何かがあるということ自体の不可思議さほどに凄まじい神秘などない。いや、賢しらな人間なら色即是空などと悟ったようなことをのたまうのに違いない。
そう、確かにこの世の一切は、あってあるものでありながら、なのに風前の灯火よりもっと儚く消えゆく定めの下にある。消えていくために生まれる幻の時の川。
けれど、かの哲人を気取るわけではないけれど、疑っても、どんなに疑い尽くしても、その疑っている自分のその思いそのものの存在までは疑いきることはできない。思い感じ考え嗅ぎ味わい求め懇願し切望し絶望し歓喜し愉悦に嗚咽する。その営みの数々の切なさと空しさを痛感しつつも、その都度の切迫した心の痛みを否定し去ることはできない。
この世は空しいほどに切なく厳しく痛くある。あってあり、消え行くものとして、つまり色即是空として空即是色としてありつづける。
そう、人は幻の存在までは否定できないのだ。
妄想をどう、否定するというのか。
言葉とは何だろうか。空中に幻のように浮かぶ楼閣へ架ける階(きざはし)の、その煉瓦ブロックの一欠けらほどには確かなものなのだろうか。言葉を積み重ねれば積み重ねるほど、足場から、まして大地からは徒に離れ行くばかりだと思い知りながら、でも、その営為を続けてしまう。
言葉は時に人間の心を突き刺す。心の肌を食い破る。血を流させる。相手を刺すだけじゃなく、刃を握るものをも同時に突き刺してしまう。握る柄(つか)の部分に至るまで刃であるような、それほどに危険な諸刃の刃、いや、切っ先しかない刃なのだ。
けれど、気持ちが萎えると、刃は途端に竹の棒、それどころか形だけは刀だが、実は古びた長っ細いだけの風船に過ぎなくなったりする。
自分は一体、何を書いているのだろう。何も書いていないのかもしれない。決して沈黙と空白が怖いわけでもない。孤立に耐えられないわけでもない。
書くとは、より一層の闇夜への誘いのような気がしてならない。
書きながら考える自分には、道の先など見えるはずも無い。目の前に、それとも脳裏に、すぐにも差し出した手に届くかと思われるほどに鮮やかな幻。あの似姿。あの消え行く影。そこに真実はあるという悪魔の囁き。そんな甘い唆しに踊らされて、さて、自分は一体何処へ行こう。
そう、何処へも行きはしないのだ。結局は、めぐりめぐってはるかに遠い、生まれいずることもなかった未出現の海の浜辺に立ち戻ってしまうような予感がする。こんなことなら最初から無為な旅などしなければよかったのだ。どうせ無に還るなら、無のままでどうしていられなかったのだろう。
それともその空しさをトコトン味わうために、自分は回り道をしているのだろうか。言葉を綴れば綴るほどに遠くなる回り道を。
[回り道(04/01/13)より。冒頭の写真は、ネッ友から借りたもの。ほかの二つは、小生撮影。]
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