賢い少年
近所のM家のガキは、とても賢い。
あれは三年前のある夏のこと、いつものように、オレは庭仕事に汗を流していた。
ジッとしているだけでも汗が滲む夏の昼下がり、その日は草むしり作業。
玄関先から段々と家の入り口附近の庭へと、草むしりしていく。
長袖の作業服を羽織り、古着のズボンを穿き、長靴、首にはタオルを巻き、頭には麦藁帽子。
庭木の剪定や除草剤を撒いたりするときは、マスクを嵌めるが、その日は草むしりだけなので、必要なかった。
ジリジリと照り付ける夏の太陽の下、オレは夢中で作業していた。
ふと、背中に何か尖がるようなものを感じた。
視線?
思わず背中のほうを見やった。
すると、庭先の道路にはいつものガキが立っている。
オレの家とは対面の位置にあり、奴の家の玄関先に立って、奴はいつものようにオレを眺めている。
眺めるという表現は、穏やか過ぎる。
奴は、そう、好奇の目でオレをジッと眺めているのだ。
昆虫か、それとも珍奇な動物を眺めるように、オレを瞬きもしないほどにジッと眺める。
オレは採集された昆虫、ピンに串刺しされた昆虫、板に磔(はりつけ)にされて、晒し者にされる。
奴は、オレが振り返って睨み返しても、一向に動じない。
それどころか、好奇の目の奥の冷たい快感の火を一層、冷酷に燃え上がらせる。
視線の矢の先はオレの心臓を抉る。
オレの心を嬲る。
オレのほうが、居た堪れなくなって、オレはその場を立ち去る。
ガキ相手に怒っても、仕様がないじゃないか、なんて言い訳をして。
奴は、オレと二人きりのときだけ、オレを好奇の目でジッと眺める。
そこに奴のお袋とか、祖父とかがいたり、やってきたりしたら、すぐに視線をそらし、たまたま手にしていたグローブをポンポンと叩いてみたり、バットを素振りしてみたり。
しかし、奴は、賢い。
お袋がいても、祖父がいても、彼らが奴の視線の先を追わないと察したら、すぐにオレのほうを見る。
ほんの瞬時でも隙があったら、好奇の目をオレに突き刺す束の間の快楽の時を逃さない。
そうしてもう、三年になる。
お前、もう、いい加減にしろよ!
お前、今年からもう小学生じゃないか!
いい加減、好奇の目に晒されるモノの心の痛みに気づけよ!
いや、奴は気づいている。
奴は賢いのだ。
弱いもの、変わり者、半端者をとことん苛む快楽は、相手の心に負う傷の疼きより、ずっとずっと痺れるほどのものなのだ。
三年目ともなると、奴にはもう、そんな根性を変えようなんて発想は欠片もないことに気づかされる。
相手が大人しいとなると、どこまでもつけあがり、しかも、親だろうが何だろうが、第三者が気づかないよう、振舞うコツだけは呑み込んでしまっている。
奴は賢く生きていくのだろう。
オレの心が流す血を滋養にして。
そうしてオレは、心がますます干からびていく。
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コメント
やいっちさんは感受性が強いのですね。
もし、少年の標的が、自分のことしか考えなかったらどうでしょう。
まず、視線に気づきません。
それから、少年の意図もわかりません。
少年は、苛め甲斐のないヤツだと諦めるのではないでしょうか。
『鈍感力』という本がありましたね。
私は、着眼点の素晴らしさに感心しました。
運動も学力もピークを過ぎましたが、今後は鈍感さを磨いて生きていきたいです。
周りから「幸せなヤツだ」と呆れられたら、それは褒め言葉ですよ。
投稿: 砂希 | 2011/08/04 18:13
砂希さん
犠牲者となっている彼は、少年の視線に気づくと、いつも静かにその場を去っていたものでした。
事を荒立てないというのが彼のポリシー(というより、気が弱いのかも)。
なのに、ガキは、執拗に彼を追います。
好奇の目の意図など分かりませんし、理解できません。
感受性が鋭いか鈍感か、自分では分からない。
鈍感力を磨く能も、あるとは思えないし。
尤も、鈍感力がどうか、ということとは別に、他人の視線を気にしないという努力は、幼少の頃から磨いてきました。
一見すると、ボヤーとしているようなふうに。
でも、敢えて鈍い振りをするのは可能かもしれないけど、それでガキの執拗な攻撃をあきらめさせられるとは到底、思えません。
彼は、その<賢さ>のままに大人になっていくのでしょうね。
投稿: やいっち | 2011/08/04 21:26