祈りについて
ここにいる<わたし>が思うことは、つまり、決して消えることなどありえないのだ。一滴の血の雫が海に溶ければ、限りなく拡散し、海の青に染まり行くのだとしても、だからといって血の一滴が消え去ったわけでもなければ、まして無くなったわけでは決してないのだ。
形を変え、色を変え、結びつく相手を変えて、永遠に生きる。
一旦、この世に生じたものは決して消えない。消すことは叶わないのだ。一旦、為した善事も悪事も無かったことに出来ないように。
だから、自分というちっぽけな人間が、世の片隅に生きて、平平凡凡と生きようと、その心と体の中に何事かを祈念する思いがあるなら、既に永遠の命が約束されたも同然なのだ。なぜなら、一旦、この世に生じたものは、なかったことにすることなど人間には不可能なのだから。
だからこそ、祈り、というのは、奇跡の営みなのであろう。祈りを知る人こそ、人間の究極の業(ごう)を知る人なのだろう。人間とは、つまるところ、祈りなのだと小生は思っている。
この世のどこかに何かが萌す。それは命の賛歌なのか、生への盲目的な意志なのか、その正体など誰にも分からない。
ただ、一旦、萌した命の芽吹きは踏みつけにされ命を断ち切られたとしても、この世からは消えることは無い。消えたように見えても、また、どこかに生まれる。踏み躙られた苦悩と恨みと望みとが、生まれいずることのなかった命への執念を以って、再びどこかに萌す。
そしていつかはどこかで大輪の花を咲かす。萌し、やがては芽吹き、花が咲くというのは、夢物語ではなく、宇宙の摂理なのだと私は思っているのだ。
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