月影と眺める我とそれぞれに
二羽の小鳥たちをずっと、ずっと眺めていた。帰宅した時間は五時前。真冬の頃より幾分は日が長くなったとはいえ、段々、外は薄暗くなってくる。
二羽の小鳥たちは、付かず離れず、止まっている。小生が眺めていることに気づいているような、気づいてこちらの様子を伺っているような、そんな気もする。
まさか、さびしい気持ちの小生を慰めようと、気づいているのに逃げようとしないでいた? あなたは一人なんかじゃないよって? 小生は身動きもならずに、彼らを眺めていた。番(つがい)の小鳥たちなの? それだったら、小生を慰めてるんじゃなくて、二人の熱いところを見せ付けていることになるじゃないか! 違う? 二人でいてもさびしいんだって、教えてあげてるんだって?
小生は、窓の傍から離れたかった。家の中の暖房の傍に行きたかった。
当てにならない人の温もりより、灯油ストーブの暖房のほうが、確かなはずなのだから…。
やがて、ようやく小鳥たちは、一羽、そして一羽と、その場を離れ、近くの山茶花の葉群の中に移っていった。小生も、カーテンを閉め、まだ凍て付いている部屋の中へ閉じ篭ったのだった。
← もう、三十分も、同じような場所を動かずにいる。大分、薄暗くなってきた。それに、寒くなってきたね。
今日も、ほぼ同じ時間に帰宅。
二羽の小鳥たちの光景を見た二日後である。
土曜日だし、翌日は休日なので、帰宅してすぐに休んだりせず、家の周りをぶらぶらし、雪に傷んだ樹木の枝葉のようすを見て回ったりした。
庭には、松や杉、山茶花、梅、南天などの樹木から、度重なる降雪に耐えかねて折れ落ちた枝葉がいたるところに落ちている。
と、裏庭の先の田畑の向こうに二つの人影が見えた。
母親と三歳ほどの娘…と最初は思えたが、じっと眺めてみたら、父と娘の二人のようだった。
普段は母が娘の面倒を見ているのだろうが、土曜日は休日なのだろう、父親が娘の相手をしている。
娘も嬉しいのだろうが、父親のほうがもっと嬉しそうにも見える。
→ 夕刻の月影を眺める。月影と小生と。それは、一つ、一つであって、決して二つの影とは見做されない。
娘は両手を開いて待ち受ける父をはぐらかすように、(きっと気づいているはずなのに、知らん顔して)駐車場の片隅に融け残る巨大な雪塊に興味を示す。
雪の山に小さな足を架けて、雪の欠片を掻き削って、楽しんでいる。
父はそんな風にはしゃぐ娘を眩しそうに眺めている。
そんな二つの大小の影の動きがやや長くなってきた冬の日の中で絵のように映って見えるのだった。
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