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2010/11/22

冬の蝶

 よんどころない用件があって、埋め立て地の工場地区にむりやり作られた住宅街を離れ、練馬のさらに郊外に向った。表の通りから一つ道を逸れ、その道をしばらく歩くと見つかるからと教えられた郵便ポストのある角を曲がる。
 すると、不意に懐かしい臭いが漂ってきた。肥料の混じったような土の匂い。畑が近いと感じる。
 案の定だった、お寺の妙に長い板塀と、同じ敷地内の公民館と幼稚園とを囲む白い壁とに挟まれた道の先に畑が姿を現してきた。

 土曜日の午後遅い。あとほんの少し時が流れると、一気に暮れていく、その間際のやけに明るい日差しが目には億劫である。早く黄昏て欲しいような、でも、土地勘のない町で人気のない暗い道を歩くのは辛くもある。

 約束の時間には十分余裕があった。

 聞くところによると、お寺まで辿り着いたら、目的の場所はすぐそこのはずなのだった。遠目には木目調に見えるが、実は鉄製の門でお寺は固く閉ざされている。俗人は門外漢だということか。門の中を伺うと、松の木の折れ曲がった太い幹や枝葉越しに立派な屋敷が見える。二階の明り取りからは橙色の明かりが洩れている。暖かそう。でも、その温みは分けてくれそうにない。

 幼稚園の部屋の中を覗き込むと壁に時計がある。約束まではあと二十分ほど。門前の石段に腰を下した。

 用事があるから来たのだけれど、迷いがあった。来るべきかどうか判断が付かなかった。来ないほうが良かったのではという思いは、未だに残っている。でも、確かめたほうがいい。その様子が思わしくないものであっても、現実を確かめたという結果だけは残る。悔いもせずに済むだろう。
 冬の日溜りほどに嬉しいものはない。幼児が水溜りではしゃぐように、悪戯な日光とじゃれてみた。なのに、陽光の戯れる小さな池が、一気に涸れ萎んでいく。終いには額の辺りに名残の光の焦点が合わさったが、それも呆気なく薄暮に呑み込まれて行った。
 静か過ぎる宵が世界から輪郭を奪い、形をも消し去っていった。

 と、思ったら、周囲がポッと明るくなった。寺の門に設置されている灯りが弱々しげな光を漏らし始めた。すると、人の影だけが、形を持ったかのように路面に刻み込まれた。そこに自分がいる。確かにいる。形のあることは否めない。 なのに、心の中は深い闇の海に沈んだままなのは何故。

 何を思うでもなく佇んでいると、時が人影を避けるように流れて、気が付いたら約束の刻限を過ぎているのだった。
 目的の場所はつい鼻の先にあるのに、ダンマリを決め込んでしまったのだった。約束の時、約束の場所、そして約束した相手。その全てが幻に過ぎないと分かっている。
 朝、胸騒ぎのする夢で目が覚め、夢の大半は潰え去ってしまったけれど、ある不思議な一瞬の光景だけが妙に鮮烈に脳裏に刻まれていたのだ。いつかその場所にいたことは間違いがなかった。決して忘れることの出来ないあざといまでのピンク色の空。空には橙色の雲が垂れている。何処かの森からは黒煙が立ち昇っている。焼き場の煙という直感があった。

 そうだ、あの場所で全ては燃やし尽くされたのだ。
 自分にとっての全てでもあったあの人が。寺の長い塀に遮られた向こうには、林に半分蔽われたような火葬場があるのだ。そこであの人はあの日、燃やされたのだった。
 そう、一年前の今日、この時間に全ては終わった。あの人が冷たい風に吹かれて、薄暮の空に溶け去ってしまった。
 それなのに、夢の中では約束の時に、そう、あの人が燃やされたはずの時にあの場所にいて、ボクはあの人とにこやかにお喋りをしているのだ。

 その夢は決して叶うことのない、儚いものだとは分かっていた。なぜなら、この町に来る途中、その焼き場が移転してしまっていることを最寄の駅の案内板で知ることができたのだから。寺の彼方には煙さえも昇らない。ただ、ひっそりと夜の帳(とばり)が下りる。来る意味など何もなかった。
 そもそも何もなかったのかもしれない。あの人はもういないのだ。逢えるはずがはかったのだ。用事があるだなんて、嘘っぱちもいいところだ。こんなにも分かりきったことを思い知るために、この町にやってきたというのか…。

 ボクはせめてあの人が灰になった辺りを歩こうと、ようやく重い腰を上げた。畑の中の道を抜け、古木の林立する中、火葬場の跡へと向った。この世に痕跡さえも残っていないあの人。なんのためにはるばるやってきたのか。なんて酷な夢なのか。

 その時だった。林の奥から一匹の白い蝶が飛び出してきた。この冬の最中なのにどうして蝶が?! でも、間違いなく蝶が舞っている! その蝶は、既に真っ暗となった町外れの畑に立ち竦んでいるボクに纏わりつくのだった。正夢だったんだ。彼女がボクを呼んだんだ。逢いたいと熱く思っていたのはボクだけじゃなかったのだ!
 白い蝶は、しばらく畑の上で舞い踊ると、やがて茫漠たる闇の空へと飛び去っていった。


                             (04/01/15 作

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