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2010/05/18

ツバメの巣を巡る小さな思い出

 鳥など空を舞うものというと、ハトやカラスもいたのだろうが、記憶の中では、コウモリやトビやツバメが印象に鮮やかである。
 コウモリについては、何年か前、夏の夜、屋根裏部屋でのコウモリとの遭遇を描いた小文を仕立てたことがある(「コウモリの夏」参照)。
 トビについても、いつか何か書いてみたいが、今日はツバメ(の巣)のことをちょっと。

Sdsc00709

→ 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 ツバメの巣。
 昔は小生の居住する町は農村に毛が生えたような、田圃や畑の広がる長閑な地だった。
 我が家だけじゃなく、少なからぬ家の軒先にツバメの巣があったような気がする。
 我が家も例外ではなく、巣は何と玄関の中にあった。

 玄関は夜は鍵を懸けたはずだが(というのも、小生が物心付くちょっと前、我が家に泥棒が入ったことがあり、当時のわが町としては珍しく、戸締りするようになった)、ただ、玄関には天井近くに小窓のようなものがあって、そこは夜昼となく開放されていた(あるいは押せば開く戸があった?)。
 なので、ツバメはいつでも出入りが自由だった。

 玄関とはいえ、家の中には違いないので、ツバメの巣を狙うようなライバルからも護られている。
 無論、家人は見守るだけである。
 玄関付近には、ツバメの落し物が散在して乙な光景だったはずだが、まあ、そこはのんびりしたものである。目くじらを立てることもない。

 そんなツバメの巣を見かけなくなったのはいつからなのか…。


 小生は高校を卒業と同時に郷里を出たので、18歳以降の何時か、なのか、それとも、小生が高校生になる前に既にツバメの巣など滅多に見られない貴重なものになっていたのかもしれない。

 そのツバメの巣に、思いも寄らない場所で遭遇した。

 郷里を離れて35年目となる一昨年、小生は帰郷した。
 家庭の事情で帰郷したのだが、日中は家事に追われ、夜のバイトをしないとやっていけるはずもない。
 ツバメの巣に遭遇したのは、いつも夕方出向く、そのバイト先でのこと。

 バイト先の家の軒先は、車が数台止まることのできる屋根付きの駐車場になっていた。
 ツバメの巣は、駐車場の大きな屋根(天井)の裏にあった。
 斜(はす)に渡してある天井裏の鋼鉄製の梁(はり)の上に巣があったのだ。

 いつしか子どもが生まれたのだろう、ツバメは巣を飛び立っていく。しばらくすると、何処からか獲物を銜えて帰ってくる。ツバメは延々とそれを繰り返す。
 バイト先の人も、バイト生も誰も構ったり、ちょっかい出したりしない。

 鳥を見るとデジカメで撮影したくなる小生も、何となくポケットに忍ばせてあるデジカメを取り出しにくい。
 いつかは撮ってやろうと思っていたが、とうとう一度たりとも撮影に成功しなかった。
 というより、ポケットに手をやった瞬間に何かを察知したのか、ツバメは姿を消す(消すように感じた)。


 さて、夏のある日のこと、家の裏で庭仕事していたら、わが町の小学校の生徒達だろうか、三人の女の子が通りかかった。
 中でも一番、しっかりしていそうな女の子がおずおずと口にしたのは、「ツバメの巣、何処かありませんか?」という一言。
 瞬間、小生の脳裏には、バイト先のツバメの巣が浮かんだ。
 教えようか、教えるべきなのか。
 察するまでもなく、夏休みの自由研究か何かの課題なのに違いない。
 が、バイト先はやや遠い。車だと数分ほど。
 歩いても十数分か。
 ただ、バイト先への道ややや複雑である(初めてバイト先へ向かったときは、道を教えれていたのに、ちょっと迷ってしまった)。
 心配性の小生の脳裏にはいろんな思いがグルグル巡っていた。

 ツバメの巣が荒らされる…なんてことは、しっかりしていそうなこの子達に限って、よもやあるまい。
 でも、道順をどう教える。地図に書く?
 しかし、遠いぞ(いや、子供たちには、さほどでもないか)。
 バイト先は、わが町の小学校の校下(学区)とは、違う(昔は一緒だったが、分離された)。
 車で送る?
 小学3年か4年ほどの女の子3人を見知らぬ小父さんたる小生が送っていく?
 きっと女の子達が断るだろう…。
 

 まあ、しなくともよい心配をグダグダしていたのである。
 で、出た言葉は一言、
「さあー、知らないなー」だった。
 連れて行ってあげたい気持ちは強くあった。
 車で案内してあげよう、その一言は喉元まで出掛かっていた。
 でも、人相だけは人一倍悪い小生、言えるはずもなかった。


 女の子達の問いかけに対する小生の返事は、脳裏の中では長くうねったものだったが、実際には、間髪を入れぬ冷たい断りに過ぎなかったろう。

 連れ去り事件とか、親の心配とか、不穏な世の中にあって、どんなに熱く親切心を持っていても、素直にストレートには出せない、出しにくいのだった。

(「ツバメの巣を巡る小さな思い出」より、思い出譚の部分を抜粋)

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