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2010/03/02

青い洗面器

 ぬるぬるべたべたする。
 不快なはずなのに、なぜか気持ちいい。
 体が死海に浮かんでいる。
 決して沈まない。

 潮の海に身を任せている。
 すべてはあなたのもの。
 わたしには何もできない。
 できなかったし。

 潮が満ちてくる。
 閉じた空間…!
 天蓋が迫ってくる。
 わたしの体が赤い潮に迫り上げられて、今にも押し潰されそうだ。
 息ができない。
 今まで息ができていたのだろうか。

 身の中、奥深くまで真紅の糊が浸透している。
 血潮が満ち満ちて、たださえ狭い空間をますます狭苦しくしている。
 身をあなたにゆだねきっているというのに、それでもまだ足りないというのか。
 この苦しさは、息継ぎできない苦しさじゃない、圧迫されて存在の無へと還元されていく悲しさに似ている。
 煮え滾った血糊がわたしの中に充満している。
 出口など何処にもないというのに、それでも次から次へと、そう津波のように赤い潮が押し寄せてくるのだ。

 あなたのせい?
 あなたがわたしに悪さしているの?
 あなたがわたしに満ちていく。
 わたしはもう消え入りそうだ。
 わたしはいなかった…あなたはそう言いたいのか。
 初めからなかったものと、そう思い込みたいのか。
 
 …ああ、でも、限りなく快感に近い、滑らかな、止め処ない、終わりのない感覚。
 あるはずのない意識を踏みつけにして抹殺する、あの快楽に近い悦び。
 わたしは一切であり、わたしは世界である。
 世界がわたしに満ち、あなたがわたしを采配する。
 わたしがあなたを刺し貫く。
 すべては満ちたりている。
 もうこれ以上、どんな望みも持ちはしない。
 望みなど、ないのだ。

 薄い膜が今にも破れそうだ。
 はち切れて、千切れそうだ。
 パンパンになって、破裂寸前じゃないか。
 わたしは粉微塵になるというのか。
 わたしは塵と埃となって世界に飛散するのか。
 わたしは世界に偏在する?
 違う!
 わたしはそんなことを望んだわけじゃない。

 わたしは生まれいずる悩み。
 惜しみなく奪う愛の欠如。
 血反吐が吹き出る。
 血の汗が滲み出る。
 体が裏返るような、痛みと悦楽とのごった煮。

 血糊が目からも鼻の穴からも耳からも、そして口からも溢れ出す。
 凝り固まった血が洗面器に吐き出される。
 その瞬間、わたしはこの世で初めての息をする。
 わたしは死に損なったのだ。
 生き地獄。
 否、生き痔極だ。
 限りなく透明に近い青い洗面器の中の、血と便とのこの上ないハーモニーを見よ!

                          (終わり)

*本編は、「赤い闇」の姉妹編にするつもりが叶わなかったもの。
 なお、全く参考にはならないが、勇気のある方は、このドキュメントを読むもよし。但し、このドキュメントを読むのは自己責任で

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コメント

手術のときは、血よりも麻酔が不快です。
効き始めがわからないんですよね。
「いつ眠くなるの?」と構えて待っていると、「終わりましたよ~」と声がかかり、すでに眠っていたことを知ります。
そこから覚醒するまでの、長い長い時間を何と表現したらよいのでしょう。
白いシーツに身体が埋まってしまったように、寝返りひとつ打てません。
夢か現かわからず、重い身体を持てあまします。
目覚めて身体を起こすと、強い吐き気とめまいに襲われクラクラします。
でも、やいっちさんの体験は、もっと強烈だったようですね。
ドキュメントは勇気が出なくて、とても読めませんでした…。

投稿: 砂希 | 2011/03/22 08:58

砂希さん

やっかいな小文にコメント、ありがとうございます。

94年に経験した全身麻酔手術と、今年初めに経験した全身麻酔とは、体験した実感がまるで違いました。

今回のは、和紙に水が浸み込むように、麻酔がスーと効いてきたようで、気がついたら病室に戻っていて、天井を周囲の人を眺めていたような。

それが94年の際は、体がコンクリートの塊になっていくような恐怖感…というより実感を覚えていました。
ホントに怖かった。

その様子は、ブログで詳しく書いたことがあるのですが、長文なので、一部を抜粋してみました:
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2011/03/post-0015.html


それはそれとして、たぶん、小生の体験した麻酔の後の苦しさより、砂希さんの経験のほうがずっと大変だったんだなって感じました。
いろいろ大変な経験をされてますものね。

いつぞやの日記は、読んだものの、感想など言えなくて(書けなくて)、すごすごと黙って去ったものでした。

投稿: やいっち | 2011/03/22 22:05

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