記憶の欠片
ただ、強烈な情念が胸を掻き毟っていた。
会いたい!
会いたい人が居る!
けれど、相手の姿は見えない。
何処かの家の裏手の軒下にポツンと立つ自分。
当てもなく立ち尽くすだけ。
今こそ遭うべき時なのに、時間だけが過ぎていく。
もう、若さはとっくに失われているのに、情が渦を巻き、やがてその勢いの捌け口を見つけたとばかりに、オレの胸の透き間を衝いて噴出する。
けれど、情の念は日の目を見た瞬間、熱さと冷たさの同居した、真冬の朝の吐息へと変貌する。
あの血の吐くような痛みさえ、凍て付いてしまっている。
無駄だと分かっているのに、今更どうなるものでもないのに、オレは表に飛び出した。
降り頻る雪。
何処までも広がる新雪の野。
オレの足あとだけが点々と連なっている。
遥か彼方に光。
あれは灯明なのか。
それともただの幻?
オレへの誘い?
闇の中のオレンジ色の光の罠なのか。
オレは光へと向かっているのか。
それとも、ああ、闇へと沈んでいこうとしているのか。
やっぱりだ。
光は通り過ぎ行く車のライトに過ぎなかった。
オレに残されるのは、雪の飛沫だけ。
分からない。
ベッドで垣間見た鮮烈な記憶の糸は、すっかり色褪せ撓んでしまっている。
蜘蛛の糸のように冷酷な救いの糸。
何もない。
ないってことすら、ない。
あるのは、ただ、白い闇。
…白けた闇に迷い込んでしまうのはいつものこと。
オレは、記憶の糸を手繰るのをやめた。
(「南天の実に血の雫かと訊ねけり」(10/01/14 作)より抜粋)
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