梅雨空に寄せて
昔、星と月とは相性が悪いのではないかと考えたことがある。
どちらも晴れ渡った夜の空になくてはならない存在なのだけれど。
そう、あまりに月が煌煌と照ると、本当ならもっともっと数多くの星々が煌くはずが、月の光の故に、星がその影を薄めてしまい、夜の空が淋しくなってしまう、そんな気がしたのである。
そうはいっても、晴れてさえいれば、月が照り映えていても、星たちは精一杯に輝いていてくれる。星は月の有無など、知らぬ顔で、ひたすらに光の矢を届けつづける。
いつだったろうか、何かの本で、今、見ている星の光は、数年前、数百年前、数千万年前、中には数億年前のものもあると知ったのは。
月だって、太陽の光の反射で、光はあっという間に届くとはいえ、一秒余り前の光なのだ。
だけど、星の光の凄さには敵わない。
今、自分が夜の空を眺めていると、この瞳には無数の時間が同時に届いている。水晶体の中で共鳴し合っている。脳裏の何処かで木霊し、時にボクを震撼させる。
物理に弱いボクは、この自分に届いた光は、そのあどうなるのかが不思議でならなかった。ボクが数億年の旅の終着点なのだろうか。こんなボクが到着点だなんて、星の光たちはガッカリするんじゃなかろうか。
星の光は、世界を満たそうとしている。全方位に向って光の輪を広げる。そのほんの、きわめて僅かな一点として太陽系があり地球があり我が町があり、このボクの立つ場所がある。ボクより、もっと素敵な何処かに光が降り注ぎ、その場所をほんの一瞬、浮かび上がらせたことで満足しているのかもしれない。
ボクが、たとえ、つまらない人間だったとしても、そんなことには目を瞑ってくれるかもしれない。
でも、光を受け止め、光をこの胸の中に満たそうとしている人は、そんなにいないのかもしれない。だとしたら、ボクに眺められ、ボクの脳髄を光の粒が揺らしたことは、もしかしたらせめてもの慰めにならないとも限らない。
光には時間がない。それは光の命が短くて、切迫した生を生きているという意味ではない。そうではなく、光は時間を内包していないということだ。一個の光の粒子、それとも光の揺らめく存在があれば、もう、それで世界を席捲することができるということを意味する?
一個の光の揺らめきが、自らは何ら時間の経過を感じることなく、世界を、宇宙を巡り、そして世界を織り成す。一個の光が演出し脚色し主演し制作する。
光は時に物質へと収斂する。物質とは光のエネルギーの塊なのだ。
ということは、ボクにしても、実は光の織り成した芸術品だということにならないか。光の旅を眺めるボクには無数の時間の深浅の光に見えていても、光にしたら、数年前も数億年前も一瞬の過去も代わりはない。
ここにいるボクとは、無際限な時の旅を生きる光の賜物。無数の太陽の光の波の交差点。
ボクは、ふと、足元を眺めてみた。月光を浴びているこの世界の中で、ボクのせいで足元に人影ができている。そこだけ月光の恩恵を受けられないでいる。
ボクが邪魔なのだ。
どうしたらいいんだろうか。
ボクがここを退く。でも、同じことだ。
何処へ行っても、そこにボクがいる限りは、そこにボクの影ができてしまって……。
ということは、ボクがいないほうがいいんだろうか。ボクって、世界が月の光の恩寵を受けるためには邪魔な存在なんじゃなかろうか。
ボクは、いつしかたまらない気持ちになってきた。ボクは駆け出した。何処へというわけもなく、とにかくここは去らなければならない。でも、移動した先は、やはりここになってしまって、ボクは立ち去る必要がある。
ああ、まるで焼けたトタン屋根の上の猫だよ、これじゃ。
永遠に踊り続けるしかない。
でも、そのうちに気がついた。星と月の出た夜の影というのは、実は蒼いということに。
そう、ボクの影は真っ黒ではない。周囲の、月の光を浴びて、まるで温かな温泉に浸かっているような青白い世界とはちょっと違うけれど、でも、月の光の作るボクの影の輪郭は曖昧だし、影の中も、星の光が実は満たしている。
そう、星の光はボクには眩しいかもしれないけれど、実際は、脆弱な光に過ぎない。その光の微細な粒が、月の光の届かない世界にも常に届いているのだ。
なんて、ボクは梅雨の雨の空を眺めながら、雲と雨にも負けずに届いているはずの星と月の光の行方を想っていたのだった。
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コメント
こんにちわ。
哲学的なモノローグ熟読しました。
「光には時間がない。それは光の命が短くて、切迫した生を生きているという意味ではない。そうではなく、光は時間を内包していないということだ。一個の光の粒子、それとも光の揺らめく存在があれば、もう、それで世界を席捲することができるということを意味する?」
光とはそのような存在なのでしょうね。何度も読み返し納得できた気がします。
そして月光にはボクがじゃまなのだ、このフレーズ、わたしも時に思います。宇宙には命、まして人間なぞ邪魔者の最たるものではないかと。宇宙は自らを認識してもらうため人間を生み出したと言う言葉も聞いたことありますが、これこそ人間の思い上がり、宇宙はしゃらくせえ認識など屁とも思わず厳に美しく存在しているような気がします。いずれすべての生命はもとの光の粒子に戻るのでしょうからね。
興味あるお話ありがとうございました。
投稿: KOZOU | 2009/07/25 10:56
KOZOU さん
地味な作品にコメント、ありがとうございます。
本作は、随筆(瞑想)と虚構との中間的な性格を持っていて、まさにモノローグの世界ですね。
でも、小説にはいろいろあって、何の物語もない、本人の述懐や瞑想、物思いだけが描かれるものがあっても構わないと思うのです。
コメントを寄せていただいたNAOMIも、月影(や月への関心)が小道具的に描かれています。
小生の好みが、思わず知らず現れるのかなって、今、気づきました。
投稿: やいっち | 2009/07/25 19:49