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2009/03/05

ボクの猫

 この頃、妙な夢を見る。
 いい年をした私が、何故かあの頃のボクになっている。大人になってしまった今の私のような、幼かったあの頃のオレのような、宙ぶらりんな自分が、長いような、短いような旅をする。

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 夢の中のボクは子供なのか五十路となった大人なのか、自分でも分からない。
 きっと、私は何歳になってもボクなのだろう。

 旅…といっても、迷子になった<ボク>が彷徨っているだけなんだけど、夢の中のボクにとっては心の旅に違いない。

 その夢には何故か、必ず猫が登場する。
 それが一番、私には不思議だ。私には猫に絡む思い出などない。猫を飼ったこともない。
 なのに、どうして猫が現れるのか。

 似たような夢を繰り返し見る。
 いつも、最後には猫にそっぽを向かれてしまう。
 で、ボクは声にならない声で咽び泣くのだった。

 でも、とうとうある日、違う結末の夢を見たのだった。


 ボクは、いつものように夕暮れ間近の町を散歩する。

 そう、歩き始めるのは、決まって暮れそうな予感の漂い始める頃。
 ゲームや漫画の本を部屋の隅に押しやり、射し込む日差しの和らぐ頃、ボクはたまらなくなって外へ飛び出す。
 そう、ボクは夕暮れを追い求めに行くのだ。夕暮れの風景の一番、似合う場所を探したい。いつかその場所を見つけたら、ボクはその世界で安らぐことが出来るんだと思う。

 今日は、どちらの方角へ歩き出そうか。こっそりと玄関を出て、家の庭先に立って、空を見上げる。空は果てしなく広い。さっき、窓の外に見えていたはずの雲たちも、今は違う雲の固まりに追いやられている。その雲たちだって、すぐに新参者の雲どもに追いやられてしまう。
 だけど、青い空は、そうした雲の集団の全てを飲み込んで、それでいて素知らぬ顔でいる。ボクも、白い雲に乗り、五月の空をどこまでもいつまでも漂いつづけたい。

 ボクは、この、行き先に迷う瞬間が、何故か好きだ。
 行く当てがないってことが、誰一人会ってくれる相手が思い浮かばないってことが、たまらなく寂しいんだけど、でも、まるで雲に乗っているようで、風に吹かれているようで、あやふやな、もやもやの、ふにふにした、つかみどころのない感じが、淋しさを忘れさせてもくれるのだ。ボクには、そのほうがお似合いなのだと思う。

 なんだか宙ぶらりんだった。どうにも、こちらへ向うという切っ掛けがつかめない。
 すると、不意に隣りの塀の高く長い家の通用口の辺りから、黒い影が飛び出し、すぐに小道を渡って反対側のお寺の境内の中へ消えていった。

 猫だ。
 灰色の猫。ボクはあの猫を知っている。
 名前は知らないけど、昔は、真っ白な猫だったけれど、今じゃ、薄汚れてしまって灰色になっちまっている。何処の家の飼い猫でもない。でも、餌は豊富みたいで、コロコロに太って、そして雨風や日に晒されて、今じゃ、昔の子猫の頃の面影などない。

 昔の……、なんて大袈裟かな。生まれてまだ数年ほどにしかならないんだから。
 でも、その数年が奴を逞しくというか、ふてぶてしくというか、小憎らしいほどに我が道を平然と行く野良猫に変えてしまったのだ。
 ボクは、猫が嫌いだった。
 いや、本当は好きなのかも知れない。
 近所の猫の消息をボクほど知り抜いている奴はいないんだから、やっぱり好きなのかも知れない。分からない。
 猫の奴らを飽くことなく眺めていたりするんだから、人は猫好きだと見なすかもしれない。どっちでもいい。ただ、ボクは眺めるだけなのだ。猫に餌をやろうと思ったことは一度もないし、実際にやったこともない。

 その薄汚れた猫にも、餌はやったことがないし、それどころか、背中を擦ったことも一度もないように思う。名前さえ、ボクは知らない。

 ボクは、きっと猫を恐れているんだ。どうして、こんな人間世界で野生でいられるのか、不思議でならないのだ。時には憎たらしいとさえ感じる。猫の首に紐を回して、何処かに括り付けたいと思ったこともある。なんだって、奴らはのほほんとしていられるんだろう。

 ボクは、決めた。
 今日は、お寺の境内に向う。

 そういえば、物心付いた頃、そう、ボクが保育所に預けられていた頃に、何度かお寺の境内で遊んだはずだった。
 何をして遊んだか……、かくれんぼ、それともカンケリ、うーん、ハッキリしない。墓石が巨大なビルみたいで、その合間を縫って走るのが、楽しくてならなかった。そうだ、ボクは墓参りの真似をして遊んでいたんだ。

 墓地の奥を進むと、当時は藪になっていた。ボクには墓地より何より、その藪が怖かった記憶がある。何が怖かったのか、今では分からない。藪の深さとか、藪に潜んでいそうな得体の知れない生き物とか。

 すっかり様変わりした境内を眺めているうちに、思い出した。そうだ、お袋に、藪の奥には古びた板塀の小屋があって、その主というのが、不気味な老人で、無断で忍び込む奴がいたら、取り込んで食ってしまう、なんて言われていたのだった。

 きっと、お袋が寺で遊ぶのをやめさせるために作ったお話なんだろうけど、ボクは、真に受けていた。いつか、あの藪の先に足を踏み入れたいと思ってはいたけれど、ボクにはそんな勇気はなかった。

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 その甲斐性のなさがボクの心にトゲとなって刺さっている。トゲは今も抜けないでいる。
 無論、さすがに今のボクは、もう、七歳になっているんだし、藪はほとんどが刈り払われて、お寺の二代目さん夫婦のための家が建っていることを知っている。

 世の中には秘密があるのかもしれないけれど、でも、もう、あの場所にはボクの心を駆り立てるようなものは何もない。

 それでも、灰色の猫の手招きだと思って、ボクは未だ明るいうちでもあるし、お寺の境内に入り込んでみた。
 夕方の買い物にも、仕事帰りの帰宅にも間のある、ぽっかりと口を開けた空白の時間帯のようだった。人影がまるでない。

 ボクだけが、輪郭の曖昧な影を引き連れて、静かに歩いている。
 ボクは、僅かに残っている藪の中を分け入ってみた。

 分け入る……、そんな言い方が大袈裟ではない。勝手に思い込んでいたのとは大違いで、その藪は、やたらと奥が深いのだった。
 振り返るのが怖いので、後ろを見たりはしないけれど、きっともう、表の光は見通せなくなっているはずだった。藪どころではなかった。雑木林というべきかも知れない。尤も、木々よりも竹薮の林と表現した方が正確なんだろうけど、今のボクにはどうでもいい。

 頭上も鬱蒼と生い茂る木々の枝葉で光が遮られている。幾重にも屈折した陽光のなれの果てというのか、草臥れたような薄明が、重い気体の澱むように漂っている。
 ほんの数分、歩いただけのはずだけど、気分は重苦しくなっていた。なんとなく二度とこの竹薮から抜け出られないような予感を覚えていた。もしかしたら… …、ボクはこの日を望んでいたんじゃないのか。ああ、でも、嫌だ、まだ死にたくない。

 ふと、テレビで見た青木が原の樹海のことを思い出した。
 数えきれない人が、樹海を彷徨った挙げ句、行き倒れ、ついには朽ち果てて骸骨となってしまう。
 ボクも、そうなってしまうんじゃないか。のんびり屋のボクも、さすがに焦ってきた。といって、後戻りも出来ない。大体、どっちが元の方角なのか、ボクに分かるはずもない。

 無闇に歩き回ったら、そのうち、奇妙なものに出くわした。それは、石の鳥居だった。
 鳥居!! あれ、ここってお寺だったよな、なのに、どうして鳥居なの。鳥居って、神社のもののはずだし。ボクは頭が混乱してきた。もしかしたら、ボクがバカで、お寺に鳥居があったって不思議ではないのかもしれないし。

 その石の鳥居には、「八幡不知森」と書いてある。ボクには読めない。
 手入れどころか、この数年、人が立入った形跡さえない竹薮をさらに進むと、またまた、変なものを見つけた。祠(ほこら)だった。祠は傾いていた。すっかり埃をかぶっていた。埃が白かったら、雪風景の祠と言えたかもしれないのに、などと思った。

 祠って、やっぱり神社のものなんじゃないのか。このお寺は、昔は神社だったんだろうか。それとも神社の境内に背中合わせにお寺が出来た。いや、お寺の後に神社が作られたってこともありえる。一緒に作られたのかもしれないし。
 ボクの頭はますます混乱してきた。そんなことを考えている場合ではなかった。薄明が薄暮へと移り始めてきたのだ。濃密な、黒っぽい油を撒き散らしたような、息苦しさを感じていた。ボクはこの場所から出られるんだろうか。この雑木林は、どこまで続いているんだろうか。

 気が付くと、真っ黒な世界に成り変っていた。
 歩くなど、論外だった。光の粒子の一粒さえ、ボクには恵まれていなかった。途方に暮れてしまった。どちらへ向うも何も、四囲が黒い壁だった。四囲だけじゃない、天も地もだ!

(これじゃ、棺の中に収められてしまったみたいじゃないか!)

 怖くなって、手や足をバタバタ、やってみた。さすがに動かすことは出来る。でも、それはただ暴れまくっているだけなのだ。ほんの少しでも、事情がよくなるわけもない。

 すると、不意に何か固い物に足がぶつかった。爪先がジーンと痺れて、脳裏が一瞬だけ真っ赤になった。でも、それで世界が明るくなるはずもなかった。

 手触りで、それが井戸らしいと分かった。
 ツタなのか雑草なのか、カビなのか、それともただの汚れなのか分からないけれど、表面のグジャグジャを通して古くなった木の感触が伝わってきた。井戸、水、喉の渇きが癒される、などと連想を弄んでみても、何の助けにもならない。

(一晩中、こうしているんだろうか。お袋は心配してくれるだろうか。でも、お袋も呑気だからな……。いつものようにボクが部屋に閉じ篭って、漫画の本を読み耽ってるんだと、放っておかれるかもしれない)

 一晩中どころか、二晩も三晩も、このまま、途方に暮れることになるかもしれない、ありえないことではない。
 朝の光がボクを何処かへ導いてくれるかもしれない。朝になって大声で叫べば、誰かが気が付いてくれるかもしれない。お寺の人だって、ホントはたまには雑木林に入ってくることがあるのかもしれないし。

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 そんなふうに自分を慰めていたら、不意にカサッ、という小さな音がした。笹の葉が擦れたような乾いた音だった。
 竹の葉でも擦れたのかもしれない。風は感じないから、風で揺れるはずもないのに、と、いぶかしんでいたら、闇の中に黒い影の存在を感じた。生き物の影だった。ただ、馬とか熊のような巨大な生き物ではないようだった。そういえば、闇の中の黒い馬という童話があったような。

 その黒い影はボクのほうに近づいて来る。葉っぱのなる音が耳に障る。ボクは逃げることも出来ない。足が竦んで身動きなど出来ないのだ。もう、破れかぶれだった。勝手にしてくれ、だ。

 そいつは、とうとうボクの足元に来た! 

 猫だ。いつも見かける猫だ。

 一瞬、猫と目と目が合った!

 けれど、知らん顔して通り過ぎていった。

 ああ、お前もか!

 が、数歩先で、立ち止まり、座り込んだ。
 背中を向けたまま、じっと、動かない。

 やがて猫は、座ったまま手先を舐めたりしていた。ボクが後ろにいることなど、まるで気にしていないように思えた。
 なんだか、ボクを招いているような気がした。

 やがて、猫はゆっくり立ち上がった。心なしか後ろに居るボクの様子を窺っているようでもある。

 それとも…、ボクを誘っている?

 ボクは猫についていくべきか、迷った。
 もしかしたら、この猫は死神の案内をしているのかもしれない。ボクをもっと雑木林の奥の、それこそ二度と抜け出せない迷路へ誘い込もうとしているのかもしれないではないか。

 でも、ボクは猫を信じることにした。

 猫の、下草や葉っぱを踏み分ける音を頼りに、ゆっくりついていった。不思議に闇の中に濃淡を感じた。濃淡の海が割れて、やや闇が薄まりゆく空間を、猫を先導にして歩いている……、そんな気がした。

 一瞬、猫の姿を見失った。
 キョロキョロ、辺りを見回した。
 居ない!

 すると、そいつはなんとボクの足元に居るではないか!

 そいつは、ボクの体に身を寄せた、何故かボクの足元に寝そべった。
 気が付いたらボクは原っぱに座り込んでいて、猫はボクのひざの上に乗っかっているのだった。

 ボクは、恐る恐る猫の背中を撫でてみた。猫はされるがままだった。撫でてみて初めて、猫はボクに可愛がって欲しかったのだと悟った。醜いからと、誰もがボクと触れ合うことを嫌うというのに、あの猫だけは違った。
 背中は暖かくて、毛も柔らかで、息衝くごとに体が起伏するのが分かった。命を感じた。生まれて初めての生き物の感触だった。ボクは心底、救われたような気がしているのだった。

 命の塊。ボクは、ボクに寄り添う猫の命を心行くまで味わっていた。
 とうとうボクの猫ができたんだと思った。

 いつしかボクは涙を流していた。

 気が付くと、ボクは藍色の空の下にいた。無数の星々さえ、瞬いていた。
 さっきまでひざにいたはずの猫は、小道の先で、星の光を背中に浴びながら、何処とも知れない先を眺めていた。まるでボクに猫の勇姿を目に焼き付けるように、とでも言っているかのようだった。

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 ボクは、こっそり家に帰った。弾むような気持ちだったけど、何故か恥ずかしくもあった。

 お袋は台所で未だ、何か仕度しているようだった。
 遅い夕餉の席に付いた。

 ボクは、お袋に、今、あったことを、もしかしたらボクが迷子になり、行き倒れになったかもしれないことを喋ろうかと思った。
 そう、不思議な猫に出会ったことも。

 思い切って片言で、喋ってみた。

 すると、お袋は目を見張った。涙さえ流した。

 無理はないのかもしれない。
 今まで一言だって喋ったことのないボクが初めて口を利いたのだから。

                    (03/05/31原作 09/03/05編集)

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コメント

いつもと違う結末、良かったです意外な感じもあり!

うちには猫が3ついます。その中にクールな子がいますが、やっと初めて私の顔の横で寝てくれた時は、嬉しくなって娘たちに報告してしまいました

猫とは話せないし、表情はそう変わらないし。猫が膝に乗ってきただけでも信頼関係を確認できたような気がしますね。

うちにはよく子ども達が来るんですが、うちの猫を見ただけで興味津々になったり、半泣きになってしまったり、かなりの反応があるんですよ

最近人間とは違う小さい生き物が側にいることを不思議に思ったりしてます

投稿: ちょここ | 2010/05/11 09:35

ちょここさん

もう何年も前に書いた小説を読んでいただき、ありがとうございました。
こういう機会がないと、なかなか自分でも読み返すことがない。

表現の拙いところもありますが、読んでいて、ふと胸がジーンと来る場面もあったりして。
へえー、自分はこういう作品も書いたんだ、なんて我ながら不思議な気持ちになったりも。

小説(虚構作品)は、基本的にストーリーは一切、考えないで書き始めます。
創作する楽しみは、思いがけないストーリーに出遭う楽しみ、意想外の自分の着想をふと生み出してしまう楽しみでもあるからです。
ただ、ふと、普段は警戒して近寄らないし、触らせてくれない、野良猫の背中に触れた…、ほんの一瞬でも傍にいてくれた…、その生命に触れた、という大概の大人にはどうでもいいような小さな<事件>がモチーフとしてあったのかな、とも思い返してみたのですが、どうも、それさえ、創作の過程で思い至ったようでした。

人とは触れ合えない、語り合えない、でも、動物とだったら、誰でも、ほんの一瞬くらいは命と触れ合える、寂しさをほんの一瞬、紛らわすことが出来る、それだけを書きたかったのかもしれない。

こういう機会を与えていただき、ありがとうございました。

投稿: やいっち | 2010/05/11 10:20

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